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佐竹氏
본문 표기 佐竹・佐竹家
松平(能見) 第二 · 1
- p001…に、家忠日記追加に、慶長七年の秋、松平丹後守、常陸國太田の城にて、佐竹が家人馬塲和泉を生捕と云云、覺束なし、此丹後守にはあるべからず、夏目日…
松平(荻生) 第二 · 2
松平(藤井) 第二 · 2
松平(松井) 第四下 · 1
- p005…されし時、康重等水戶の城請取て、軍兵を留め守らせ、其身は笠間の城に歸る、佐竹が重代の家子郞等の、かしこに、落ち殘りたる輩、謀反して、水戶の城を襲はん…
太田 第六 · 1
- p007…父死して後、一族美濃守資政入道三樂と共に、三樂は重政の母方の叔父か佐竹家に仕へ、天正十八年北條亡ひし後、始て德川殿に仕へ、明れば十九年奥の御陣に…
伊達 第七下 · 2
佐竹 第八下 · 8
- p001…後胤なり、昌義母方に付て、常陸の國に下り、久慈の郡佐竹の地を領しぬれば、佐竹とは名乘りけり、昌義が孫佐竹別當秀義、右大將賴朝の爲に、討るべかりしを、…
- p001…賴朝奧の泰衡を討んとて、下野國宇都宮に至り給ふ時、秀義軍兵を率ゐて參る、佐竹が籏、皆混白なりければ、御所の御籏に、別たれんが爲に、月を出せる扇、賜り…
- p001…れば、御所の御籏に、別たれんが爲に、月を出せる扇、賜りて籏の上に付らる、佐竹が月いだしたる扇を、紋とする事は、此故とぞ聞えける、秀義五代の孫常陸介貞…
- p001…上杉安房守憲定が二男を養ひ、我が娘に配て、嗣となし、右京大夫義仁と申けり佐竹が郞從、義仁が他姓の子なるを嫌て、上總入道貞義が孫、山入刑部大輔師義が子…
- p001…持氏なり岩松持國に、大將を賜り、與義が籠りたる長倉の城を攻めらる、佐竹が郞從、叶はずして、義仁を迎て主となし、與義も降人と成つて參りたり、此…
- p001…從、叶はずして、義仁を迎て主となし、與義も降人と成つて參りたり、此より佐竹藤氏の胤となる應永廿三年、鎌倉の兵革に、義仁持氏の御方に參りしかば、…
- p001…北條武田軍起りて後、常陸下野の國人等、又北條を背て、義重に隨ふ、此より又佐竹北條が戰、止む事なし、天正十八年、義重同國の大名江戶重通を滅し、水戶の城…
- p001…其地合せ領しければ、天下六人の大名の數に入られたり、德川毛利上杉前田佐竹嶋津義宣かく大名に成りし事、偏に石田が謀に因りしかば、如何にもして、彼…
相馬 第八下 · 1
- p003…景勝中納言を征伐あるべしとて、諸國の軍勢を催さる、岩城相馬の人々は、年頃佐竹と好み深ければ、內々は上杉石田等と謀を通はして、德川殿の催促に隨はず、程…
那須 第九下 · 1
- p001…是れ左京大夫資景が父なりけり、資晴初め那須太郞と名乘る、先祖累世岩城白川佐竹宇都宮と、互に地を爭ひ、戰を合す、資晴が時に至り、天正十三年三月廿五日、…
里見 第十二上 · 1
- p003…じく下野の國宇都宮の城に留て景勝と戰はんとす、關が原の戰ひ事終つて、上杉佐竹降つて後此度の勸賞として、常陸國鹿島郡を分つて義康にぞ賜ひける、三萬…
成田 第十二下 · 2
佐野 第十二下 · 1
- p003…、宗綱が弟の僧になりて、佐野の庄天德寺に住しけるを、この和尙一人は常陸の佐竹が子を迎へて、家繼がせんと議す、大貫、越中竹澤源三郞山上美…
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