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毛利輝元
본문 표기 輝元・毛利右馬頭輝元・輝元入道宗瑞・中納言輝元・中納言輝元入道宗瑞・右馬頭輝元・入道・宗瑞入道・輝元入道・中納言殿・毛利輝元
堀 第七上 · 1
- p002…より太閣の御所に召仕はる、朝鮮の事起りし後、直寄十六歲の時、小山に至て、毛利右馬頭輝元に就きて、望み申せしは、抑も仰せ蒙りて朝鮮に行き通ふ輩、常にたらず、あは…
細川 第七下 · 2
毛利 第八上 · 35
- p001…中納言輝元入道宗瑞は、參議大江朝臣音人十代の孫、前陸奥守正四位下廣元の後胤なり…
- p006…藤四郞秀包といふとぞ申ける、嫡男大膳大夫隆元は、父に先立て卒す、其子中納言輝元なり、元龜二年六月元就七十五歲にて、吉田の城に卒し、嫡孫右馬頭輝元年十九…
- p006…、其子中納言輝元なり、元龜二年六月元就七十五歲にて、吉田の城に卒し、嫡孫右馬頭輝元年十九歲にて家を繼ぐ、叔父元春隆景、家人等と相議て、軍國の事を裁斷す、天…
- p006…し、同き十年の春、備中の國に攻入り、冠河屋等の城を落し、高松の城を攻む、輝元元春隆景八万餘騎を率ゐて、後まきせんとて打出づ、信長の軍勢、また雲霞の如…
- p006…も包まず、毛利が使に向ひ、織田殿既に逆臣のために、討れ給ひぬ、かくても猶輝元が秀吉と好み結ばん事、初めより聞く所の如くにやあらん、今は又違ふ事やある…
- p006…思はんやうを急度承りて來れ、其上にてこそ返答には及ふべけれとて歸へさる、輝元宗徒の人々を召集めて、此事を僉議す、當家信長にこそ中直らんと云ひけれ、秀…
- p006…守廣俊、秀吉の陣に行き向ひ、信長の死を弔ひ、和睦の事、變ずべからざる旨、輝元を始めとし、吉川小早川の人々、皆起請文を送られたり、秀吉大に悅で、此よし…
- p006…上は逆徒速かに誅伐あるべしとて、明れば六月六日、秀吉備中を立て都に趣く、輝元やがて秀吉に加勢して、叔父藤四郞元綱に、桂民部大夫附けて、人質にぞ出され…
- p006…、かゝりし後、秀吉毛利がこと愚そかに思ひ給はず、自ら關白に任じ給ひし時、輝元に從四位下させ、次第に官位昇進して、天正十六年四月十日、參議に任じ、慶長…
- p006…慶長二年三月十日、從三位權中納言に至り、一門多く納言侍從に歷昇る、此時輝元、安藝周防長門備後隱岐出雲石見等を領し、百二十万五千石といふ、筑紫の…
- p006…の戰功少からず、慶長三年の秋、太閤薨じ給ひし時、御跡の事、賴み給ふよし、輝元に仰せ置れき、同き四年の春、大坂の奉行等、利家秀家輝元等を初め、宗徒の大…
- p006…事、賴み給ふよし、輝元に仰せ置れき、同き四年の春、大坂の奉行等、利家秀家輝元等を初め、宗徒の大名勸めて、德川殿失はんとせしかども、事ならずして、石田…
- p006…ならずして、石田三成、職を去つて、己が所領に引き籠る、明れば五年の二月、輝元おのが館に、德川殿を請じ參らせ、兩家兄弟の好みをなすべきよし、起請文を書…
- p006…本國に下向す、此年の夏、德川殿、奧の上杉、退治のため、御發向ありしかば、輝元、吉川安國寺等を大將として、軍勢をさし下す、かゝる所に、安國寺の惠瓊、石…
- p006…として、軍勢をさし下す、かゝる所に、安國寺の惠瓊、石田三成にかたらはれ、輝元を、とかく勸めて上方の大將軍となし立てゝ、大坂の城に迎へ入れ、德川殿失ふ…
- p006…大將軍となし立てゝ、大坂の城に迎へ入れ、德川殿失ふべしとぞ議したりける、輝元が養子秀元を大將とし、吉川安國寺に多勢附けて、海道を攻め下り、伊勢の國に…
- p006…元今は戰ふに及ばず、大坂に引返す、東國の軍勢、續て攻め上ると聞えしかば、輝元大に驚き、大坂の城を去り、木津の別業に遁れ、入道して、降人になつてぞまゐ…
- p006…ひん事、不便の事なりとて、周防長門を賜て、其餘の國々悉く沒收せらる、此後輝元入道宗瑞、家の事をば秀元に讓り、我が身は長門の國萩の城に住し、秀元は同き國府にぞ…
- p006…元に讓り、我が身は長門の國萩の城に住し、秀元は同き國府にぞ住しける、初め輝元、男子なかりし時、叔父穗井田備中守元淸が嫡子秀元を子として、後二人の男子…
- p006…て軍す、秀就は海路心に任ぜずして、軍散して後に參る、寛永二年四月廿七日、輝元入道宗瑞、年七十三歲にて卒す、同き三年八月十九日、秀就少將に任ず、八年十月五日參…
- p007…國中山の城にあり、秀元は淸元第二の男と云なり初め元就卒し、嫡孫輝元家を繼ぐ、天正十二年、元春、隆景、備中の國に至り、秀元いまだ宮松丸と申て…
- p007…人の、父元就に似たまひし事の怪しさよ、如何さま只人にてはおはすべからず、輝元いまだ世嗣なし、毛利の家つぐべき人、此人にや侍らんと云ければ、舍兄元春、…
- p007…云ければ、舍兄元春、我もさこそは存ずれとて、兄弟共に相謀り安藝國へ伴ひ、輝元の見參に入る、輝元大に悅て、頓て養て子とす、秀吉世を知召して後、輝元の人…
- p007…、我もさこそは存ずれとて、兄弟共に相謀り安藝國へ伴ひ、輝元の見參に入る、輝元大に悅て、頓て養て子とす、秀吉世を知召して後、輝元の人質として、大坂に參…
- p007…ひ、輝元の見參に入る、輝元大に悅て、頓て養て子とす、秀吉世を知召して後、輝元の人質として、大坂に參る、關白殿、この幼き者、よのつねの人にあらずとて、…
- p007…ため、秀元筑紫に下向せし所、軍全くして歸りければ、渡海に及ばず、幾程なく輝元、石田三成に、かたらはれて大坂に上り、德川殿を失ひ參らせんとす、秀元大に…
- p007…三成に、かたらはれて大坂に上り、德川殿を失ひ參らせんとす、秀元大に驚き、輝元を諫めて、秀賴いまだ幼なくまします、如何で內府を善しとも惡しとも思ひ分ち…
- p007…、其誓を背きて、奉行等が方人し給はん事、ゆめ〱然るべからずと云ひしかど、輝元これに從はず、秀元力及ばずして、さらば君は秀賴の御供して、東國に攻め下り…
- p007…た德川殿に參りしかば、秀元戰ふに堪へず、東國の多勢を押分け〱大坂に歸る、輝元大に驚き、秀元にも謀らず、大坂の城を去て、おのが別業に遁れ、入道して降人…
- p007…謀らず、大坂の城を去て、おのが別業に遁れ、入道して降人に成て參る、かくて輝元餘多の國々、沒収せられ、周防長門兩國を賜り、長門の國をば秀元に讓り與ふべ…
- p007…兩國を賜り、長門の國をば秀元に讓り與ふべしと仰せ下さる、秀元此由を承り、輝元が嫡子の、はべれば、兩國を事をば彼にこそ賜ふべけれと申して、我身は僅か豐…
- p007…元御感に預る上は、秀就別の御咎もなし、寬永の初、秀元關東に伺候しける時、輝元入道宗瑞、秀元の許へ使下して、井原加賀淸水信濃といひしものなり、我家…
- p007…合せて三十万斛と聞えしを、今代の法を以て量るに、凡そ七十八万斛を得たり、入道此由を聞て、悅ふこと限りなく、安堵の思ひをなしてけり、同き二年宗瑞入道卒…
- p007…たり、入道此由を聞て、悅ふこと限りなく、安堵の思ひをなしてけり、同き二年宗瑞入道卒しぬ、八年十月五日に秀元、秀就に家を讓る、自ら五万石を領し長府の城…
- p008…日向守大江就隆、毛利と稱す、輝元入道の二男、周防の國德山を分ち讓らる、五万石其子日向守元賢、父卒して家…
嶋津 第八上 · 1
- p003…落ち去りぬ、兵庫頭義弘、肥後の國を經て發向し、大友が城々、悉くに攻落す、毛利右馬頭輝元、此由を聞て、山陰山陽の軍勢を從へ、豐前の國に押渡つて、嶋津が勢と戰ふ、…
毛利 第九下 · 3
金吾 第十二上 · 4
- p001…けり、抑も隆景が此人を養て子とせしこと、其謂れありとぞ聞えたる、隆景が甥毛利右馬頭輝元が世嗣いまだ無かりし時、黑田勘解由孝高生駒右馬頭親正、二人は毛利が家に親…
- p001…されてけれ、其後隆景が計らひにて是れも又故陸奧守元就が孫なりける秀元して輝元が世嗣となす、輝元秀元は從弟也精しきことは毛利が傳と合せ見るべ…
- p001…が計らひにて是れも又故陸奧守元就が孫なりける秀元して輝元が世嗣となす、輝元秀元は從弟也精しきことは毛利が傳と合せ見るべし隆景がかく謀りし…
- p001…元は從弟也精しきことは毛利が傳と合せ見るべし隆景がかく謀りしは輝元が家は嫡流にて、おのが家は庶子なれば、嫡流の種姓絕えなんことを哀みて、自…
加藤 第十二上 · 8
- p006…は在らず○又毛利傳記を見るに、東西の軍起りしかば、清正桑山式部を使として中納言輝元へ申さるゝは、今度內府と三成と軍起りぬ、中納言殿三成に與みし給ふと承りぬ…
- p006…清正桑山式部を使として中納言輝元へ申さるゝは、今度內府と三成と軍起りぬ、中納言殿三成に與みし給ふと承りぬ、清正大和國を一圓に下し給はらば、急き馳せ上て關…
- p006…ひなん、內府亡し給はん事は、清正が身一人に任せ給ふべき所也と申さる、桑山輝元の家人に知る人なし、宰相秀元の侍沼田小左衞門といふ者を知てければ、沼田に…
- p006…田小左衞門といふ者を知てければ、沼田につきて此事を謀る、沼田やがて桑山を輝元の家人福原式部堅田兵部に逢せて、福原堅田して輝元にかくといふ、輝元これを…
- p006…を謀る、沼田やがて桑山を輝元の家人福原式部堅田兵部に逢せて、福原堅田して輝元にかくといふ、輝元これを聞て御使の旨承りぬ、大和の國の事元より增田右衞門…
- p006…桑山を輝元の家人福原式部堅田兵部に逢せて、福原堅田して輝元にかくといふ、輝元これを聞て御使の旨承りぬ、大和の國の事元より增田右衞門尉が領にて彼人郡山…
- p006…使の旨承りぬ、大和の國の事元より增田右衞門尉が領にて彼人郡山の城に在り、輝元が計らひにて和殿に取つて參らせんこと難し、和殿は大坂の御爲に忠盡さるべき…
- p006…山密に沼田に向ひて、あつたらしき味方失ひ給ふものかな、大坂の御爲なれば、輝元增田と謀り給ひ、清正が望に任せ大和國給はらんには、御軍必利ありぬべし、此…
堀尾 第十二上 · 1
- p004…文祿二年天下に政令を敷かれし時に、德川殿前田利家浮田秀家毛利輝元小早川隆景連署せらる、時に五人の大名衆と云ひし由、北川二郞兵衞が記に出づ…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히