常山紀談本文データベース

目次 › 卷之五 › e114

○勝賴の首穿鑿の事

卷之五 第1話 · 段落 2 · NDL 1078984 100コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

勝賴天目山に落ち行く時、瀧川一益攻め入りて落人共討取り、勝賴の首を取りたれども、誰といふ事を知らず。小溝の中に棄けるに、百姓儕溝の前にて必ず平伏し禮をして打ち通る。如何なる故ぞ、と問へば、彼溝の中に屋形の御首の御座しまし候、といふ。然らばとて首共取り出す。信忠勝賴の首を分ち置き、先瀧川義太夫を呼びて、汝が取りたる首は何ぞ、と問はるゝに、是なり、とて出す。此は土屋總藏昌惟が首なり。伊東伊右衞門といふ者進み出で、勝賴の首を見て、此こそ伊右衞門が取りたる、と申す。證は如何に、と問はるゝに、斬口に乘つたる馬の栗毛かす毛の血に混りて附きて候。天目山の麓田野より鞍の四方出に附けし故なり、と申す。果して詞に違はず、依て伊東が取りたるに定りぬ。信長勝賴の首を見て、如何に汝が父非義不道なりし故、天の譴遁れ難く今斯くなりぬ。信玄一度京に赴かんと志しけると聞く。汝が首を京に送り、女童に見知られよ、と罵り、首を東照宮の御許に送られけり。東照宮御將机に御座しませしが勝賴の首と聞し召し、將机を下りさせ給ひ、偏に若き故思慮無く斯くならせ候、と禮義正しく仰せあり。是を傳へ聞く甲斐信濃の士ども、德川家に心を寄せ奉る因となれり。
又一說に、勝賴の首を瀧川が士瀧川莊左衞門と言ふ使番に持せて信長に見せ申せば、種々に罵りて、杖にて二つ突きて後足にて蹴られけり。莊左衞門是を見て、斯る事こそ無けれ。織田家の運命はや盡き果てなん、と言ひけるを、蜂須賀阿波守至鎭の長臣、稻田修理が弟丹波、瀧川が方に信長より置れたるが聞きけるが、果して程なく信長弑せられしかば、莊左衞門、心有る者よ、とて蜂須賀の家より搜し求めけるに、瀧川の家滅びて後、隱れ居たるを召し出して仕へけるとなり。