勝賴天目山に落ち行く時、瀧川一益攻め入りて落人共討取り、勝賴の首を取りたれども、誰といふ事を知らず。小溝の中に棄けるに、百姓儕溝の前にて必ず平伏し禮をして打ち通る。如何なる故ぞ、と問へば、彼溝の中に屋形の御首の御座しまし候、といふ。然らばとて首共取り出す。信忠勝賴の首を分ち置き、先瀧川義太夫を呼びて、汝が取りたる首は何ぞ、と問はるゝに、是なり、とて出す。此は土屋總藏昌惟が首なり。伊東伊右衞門といふ者進み出で、勝賴の首を見て、此こそ伊右衞門が取りたる、と申す。證は如何に、と問はるゝに、斬口に乘つたる馬の栗毛かす毛の血に混りて附きて候。天目山の麓田野より鞍の四方出に附けし故なり、と申す。果して詞に違はず、依て伊東が取りたるに定りぬ。信長勝賴の首を見て、如何に汝が父非義不道なりし故、天の譴遁れ難く今斯くなりぬ。信玄一度京に赴かんと志しけると聞く。汝が首を京に送り、女童に見知られよ、と罵り、首を東照宮の御許に送られけり。東照宮御將机に御座しませしが勝賴の首と聞し召し、將机を下りさせ給ひ、偏に若き故思慮無く斯くならせ候、と禮義正しく仰せあり。是を傳へ聞く甲斐信濃の士ども、德川家に心を寄せ奉る因となれり。