黑田孝隆播州にて秀吉の命を請け、長の坪といふ城を攻め落し、井口猪之介、三宅藤十郞に其城を預け、孝隆は秀吉の先陣たる處に、其城より逃落ちたる者共一族を催し、其夜攻め寄せたり。井口三宅、人も少く、攻め破りて普請も未せざれば守り難し。殿未だ遠くは行かせまじ。切り脫けて參り後卷の事申すべし、と云ひ合せ、三宅は百二十人許にて搦手に有りしが人數を殘し、二十人許を連れ圍を出づる。敵利を得て攻め入りたり。井口は大手にて防ぎ戰ひしが、翌朝辰の刻後卷の旗先見ゆる比、薙刀にて片股を薙ぎ落され、石垣に倚り居たれ共敵恐れて近附かず。最後に大音上げ、此城の大將井口猪之介ぞ。首取れ、とて自害しけり。藤十郞は後三宅若狹とて武名あり。猪之介に三人の弟あり、六大夫、甚十郞、與一之助といふ。六大夫は播州北條の構を守りて討死しけり。或時孝隆の士罪有りて討手を向けらるゝに、却りて討手を切つて兄弟三人町に出で、大なる屋に取籠りたり。甚十郞見て參らんと言へども孝隆許されざりしに、再三に及びければ、然らばとて許されたり。甚十郞其處に行くと忽ち門の潛戶を引き放し、楯に執りて飛び込み、戶を以て二人を打伏せ、一人を切殺し、打倒したる二人も切つて、首三つ取りて馬に乘り、二町許歸る處に、罪科人の從者主人の首を見て、鎗にて甚十郞が馬上を目掛け飛び乘りて突く。突かれながら其者を切つて棄てたれども、痛手にて馬より落ち、少時ありて蘇生したるを戶板に乘せ來る。孝隆膝を枕にさせ、手は如何、と問はるゝに、如㆑此に候、と一言いひて終れり。兄弟三人皆我爲に死たる事報ゆるに詞無し、とて孝隆其父與二右衞門が宅に自往きて弔はれ、與一之助七八歲なるを呼び出さる。旣に九つに成りける比、三人の兄は勇氣由々しき者なりけれども、人の性質は計難ければ試みんと思ひて、磔を見つるや、と問はるゝに、見ずと答ふ。今夜は月明なり。其の所の磔木の下に行き印を立て歸らんや、と言はるゝに、承り候、とて自御幣を切り竹に附けて與へらるゝを、與一持ち行きて立てんとするに、磔木動くを見て、死きらぬか、留を指してとらせん、とて木に攀るに、驚きて磔木より飛び下り逃ぐるを、與一、偖は憎き次第なり。逃すまじ、と追ひかくる。詮方なく宮の有りし內へ入り戶を閉れば、何時迄待ちても出づるを切らん物を、と呼る。種々にすかし名を言へども歸らざれば、殿の仰にて威の爲に來りたり。著せさせ給ふ帷子の片袖を證據に取りて許されよ、と言ふによりて歸りぬ。朝鮮にて竹も木も無き廣野に、一筋の道窪くて切通しに似て、其向ふ處大山の麓にて曲尺の如し。大穴を穿ち射手を籠め置きて行きかかる。日本人數多射殺され屍相重れり。山蔭の敵多少を知らざれば進む者無し。井口が從者山崎喜兵衞、見て參らん。馬を扣へて待たれ候へ、と言ひ捨て走り込む。井口も馬より下りて走り入り、山崎先射手三人を討取り、其首を持つて大音上げて名乘りたり。井口攻め入り追つ散らす。井口其時は兵助と言ひけり。此賞美に朱柄の鎗を許され候へ、と申す。卒爾には許し難し。一日に首七つ取りてこそ朱柄は許さるゝと申し傳へて候、と人々申しける故事延にけるが、其後井口一日に首七つ、山崎も六つ取りしかば、朱柄を兵助に許されたり。晚年に村田出羽吉次と稱しけり。