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○太閤名護屋にて大言の事

卷之十 第15話 · 段落 1 · NDL 1078984 184コマ L

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明の援兵大軍にて朝鮮に來り、日本の軍危しと太閤聞かれ、軍評定有りし時蒲生氏鄕進み出で、何程の事か候べき。氏鄕に朝鮮を賜り候へば、切取にして打破る可きものを、と言はれしかば、太閤是より氏鄕の大志有るを忌み憎み給ふ。又同時隆景使を以て、隆景が存ずる所は、十萬の軍兵渡海せば城々を守らせ、隆景先陣して明朝に押入り北京を攻落すべし。此旨申せと申して候、といふ。秀吉、小早川の智謀さぞあらん。人々能く聞かれよ。秀吉功を遂げずして死するとも、秀次を大將として明朝に攻入らん時、我魂魄雲に乘じて鐵の盾をつき、唐土の奴原を一々に蹴殺して捨てなんものを。昔も柘榴を嚙みて火となせし者の有りしと聞く。其小男の名を忘れたり、と言はれしかば、施藥院秀成、夫は北野の天神の御事にて候、と申す。秀吉、夫ぞかし。雷になりて天に上りしと言ひ傳ふれど、吾陰囊の垢程もあらぬ物を、と大音に言はれしを、聞く人每に驚きけり。