e284.p01校訂済199L:8–11別越後の士大將直江山城守兼續は、朝日將軍義仲の乳子、樋口次郞兼光が末孫なり。謙信に仕へて景勝に至る。景勝、奧州にて百萬石を賜りし時、米澤三十萬石を直江に與へられ、陪臣の中第一の大祿なり。長高く容儀骨柄雙無く、辯舌明に殊史1大膽なる人なり。且文藝にも暗からず、五臣注の文選は此人板行させたるとなり。詩をも作りて、誤植殊史 — 底本「史」。振り仮名「ことさら」から「更」の誤植か(同じ紙型の別刷は「更」)。
e284.p03校訂済200R:1–6別などいふ句も世に聞えけり。伏見の城にて諸大名幾等も並居たる中に、伊達政宗懷中より金錢取り出して人々に見せられしに、其頃金錢の始りし比にて、珍しとて持囃さる。直江が末座に有りしを、これ見られよ、と有りし時、直江扇の上に金錢を置きて打返し、女童の羽根つく樣にして觀しかば、政宗、否苦うも候はず、手に取られよ、と言ひも終らぬに、直江、謙信の時より先陣の下知して麾取り候手に、斯る賤しき物取れば汚れ候故、扇に載せて候、とて政宗の方に投戾しけり。兼續父も山城守といふ。元僧なりしが、還俗して武勇を事としけり。