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○井伊直孝衣服儉約の事附戰國の時質素なりし事

卷之十八 第29話 · 段落 2 · NDL 1078984 296コマ R

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井伊直孝、大坂冬の軍に物見二騎を遣るに、雨に濡れて歸りければ、則著られし小袖二つを脫ぎて與へられけり。扨安藤帶刀の許より小袖を貰ひて、縞の小袖革袴にて兩御所の御前に出られけるとぞ。直孝の領地近江の彥根は、湖上より船を泛べて都に行くに甚だ近し。太平に及びて稍奢靡の風俗になりて、彥根の士も都近ければ衣服美麗になりけるを、直孝戒めずして儉約にすべき道を謀り、江戶より歸る時、木綿の衣服を供する士の數密に用意して、彥根に著く時俄に配りて著せられけり。彥根の侍衣服を飾りて迎へけるに、供の士皆木綿の衣服なり。彥根の人々身を省みて、美服を裂きたく有りしとぞ。一事の法令をも出さず、彥根の奢止みてけり。
戰國の時衣服質素なる事論ずるを待たず。瀧川左近將監一益、關東の管領として厩橋に至る時、諸將對面の爲來りしに、只今一つ有る衣服の垢附きたるを灌ぎて赤躶にて候程に、暫く待ち給はれ、と言ひし事語り傳へて、直孝の衣二つ物見の士に與へて、著替の無かりしも皆符合したり。泰平に及びて稍衣服の美に成れりしか共、寬文の頃まで尙其遺風あり。然れども金銀利倍の物語する事は、士の恥と心得居たりけり。酒井雅樂頭忠淸大老たりし時、江戶の殿中にて、春の末にや休所にて、下に著たる服の汗附きたるを欄干に懸けたるが、所々繼ぎたてたるが見苦しき、と歸りて語られしに、其事を司りし老女の、時移りて君の奢り給ふにこそ。我一生は今の如くならん、と言ひし事あり。此事は嚴有院殿の御時なり。古の武士は大やう無用の奢侈を縮めて、用ふべき事には吝ならざりしなり。關ヶ原一戰の後成瀨吉右衞門は伏見に有り。其子隼人正駿府に在りけるが、折節父の許に金を贈りけり。居間の天井に釣置きて、客來れば、彼見給へ。肴を調味せよ、とて、隼人が贈りたる金なり。是を見れば美味に勝れり、とぞ語りける。大坂冬陣和平の後、隼人が子何某祖父の所に來りければ、此度は事故なけれども軈て事有るべし。其時よき馬を求めよ。江戶廣しと雖も、金二十枚の馬はさのみ多からじ。之を、とて二人の孫に各金二十枚を與へしとなり。昔の士風想ひ見るべきにや。