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○水野勝重父子有馬永純本丸一番乘を論ぜられし事

卷之十九 第12話 · 段落 1 · NDL 1078984 306コマ L

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島原を攻落す時、水野美作守勝重は、江戶にて賜りたる白川月毛といふ逞しき馬に乘り、戶田氏鐵の陣所より我陣所に乘切つて歸られしに、勝重の軍兵共、金の束熨斗の馬印を見るより我先にと勇みけるを、勝重馬上にて冑を取つて著、武者奉行河村新八、士大將上田玄蕃に向ひ、我下知無き以前に懸るならば軍神に賭けて斬棄てよ、と大音上げて呼はり、麾を拔出し軍兵を進め塀を破り、喚叫んで攻入りけるに、自分馬より鎗を杖にして本丸を目がけて進まるゝ。嫡子伊織十四歲眞先に駈出づるを、祖父の勝成後陣より見て、本丸を討破れ、と下知せらる。本丸に楯籠る者共數千人、今日を限りと思ひ定め防ぎ戰ひければ、討たるゝ者多し。鍋島の軍兵ひるみて見えし處を、水野父子、橫樣に面も振らず切り懸りて、三の丸より本丸へ逃入る一揆を討取る事數を知らず。本丸の石壁より打出す鐵炮の玉霰の飛散るが如し。石壁は五間七間許も高く登り兼たる處に、水野父子大音上げて、今日本丸を攻取らずば生きて誰にか面を向くべき。死ねや死ねや、と聲々に呼はり、打てども射れどもひるまず。我先にと攻め懸る。旗奉行神谷杢之允、旗十本の內一本持たせ來りて自竿に手をかけ、本丸に入らんとす。纏奉行進藤七兵衞、小野田正大夫、金の束熨斗の馬印を振りかたげ來りて、松の丸に押立てしかば、神谷も旗を入る。水野父子の兵念無く石壁を登り本丸に攻入りたるを、勝成二の丸より見遣りて、我今生の思ひ出なり。美作は大坂にて武功有り。伊織は、今日を始めの軍なるに、本丸を攻取りし事家の面目なり、と悅ばれたり。有馬左衞門佐康純の嫡子藏人永純は、寺澤忠高の後陣なりしが、唯一人從者に鎗を持せ寺澤の先陣を駈脫けて、天草丸の方へ馳入り、本丸に進んで五間許の石壁を登り、今日本丸の一番乘有馬藏人なり。心有る士は能く見候へ、と呼はる處に、勝重の士鈴木半之丞、取つたる首を石壁の上に置きて息を繼居けるが、此聲を聞きて鎗を橫たへ藏人に向ひ、只今此處に來り一番とは何事ぞや。本丸は水野美作守攻入り、旗馬印入れ置きぬ。二番とならば是へ上らせ候へ、といふ。藏人、聞入れられずば唯一鎗にと思へる氣色なる上に、水野の旗本丸に建てしを見て、さらば美作守に續きては藏人なり、と言はれしかば、其時鈴木半之丞、美作守父子の外大將達は未だ本丸には見えず。紛れ無き二番にて候、とて手を取つて石壁に引き上ぐるに、永純つめの丸喰違の處に進み行き、美作守は何處にや、と問ふ。神谷、美作守は腰廓の上に居て、爰に旗を入れ候、と答ふ。永純聞きて、偖は美作守は我より後にてこそ有れ、と言はれたり。永純本丸に押入りたりと勝重聞きて、使を立て、只今攻入られし由廓有る所に在り。若し夜に入りて一揆討つて出づる事も有るべし。爰に一所に有りて下知せられ候へ、となり。藏人聞きも敢ず、作州は我より後に攻入られしよ。藏人は一寸も敵近き所を好み候程に、後へは引候はじ。一揆打つて出づるとも、藏人爰に在らば危き事候はず、と答へられけり。勝重、よし〱、詰の丸より切つて出でば敗北すべし、とて士三十人許鎗を橫たへ鐵炮を前に並べたり。藏人は鐵の楯を取寄せ、前に押立てて夜の明る迄待ちかけられしか共、一揆討つて出でず。信綱下知して勝重も鍋島の陣に入りかはられしか共、永純は退かず。使度々に及びて引返されけり。落城の後三月朔日、永純、勝重の陣所に行き、本丸の一番は藏人にて候、といふ。勝重、年若くて左宣ふ。本丸の奴原命を限りに防ぎ候ひしを、美作守父子押寄せ討破りて、旗を一番に入れし事誰か爭ひ申すべき、と答ふ。鈴木も進み出でたれば、永純、また鈴木が申せし言も如何で忘れ候べき。作州父子は一番と思ひて、藏人二番と申せしも分明なり。されども旗入れ置かれし所に行きて見しに、夫より遙の後に控へてこそ御座したれ。鈴木も旗を證にして利口を申したれ。兎角に一番は藏人に候、と云はれければ、勝重、陣所に在りたればとて旗を一番に入れしは、是軍の法に於て誰かは一二を論ずべき。父子が兵共身を棄てて力攻に乘取りし本丸を、他の一番に定めん事思ひも寄り候はず。能思慮し給へ、と答へられしに、永純、旗の前後は論ぜず候。將たる者の先駈は藏人が外誰か候。作州は後より使を給はり候へば、一番は藏人なり、と怒られしかば、勝重、只今の爭無益の事に候。軍に慣れたる物師に問ひて一二を定められしかば、永純打解けて小姓を呼び、茶を飮みて出でられしが、鈴木に向ひ、如何にも詞和に云ひて歸られしかば、藏人も並々ならぬ人なり、と譽め合へり。