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結城秀康
本文表記 守殿・三河守殿・於義丸殿・秀康・中納言殿・結城殿・參河守殿・故中納言殿・於義丸・此人・羽柴秀康・秀康朝臣・參河守・君・秀康卿・結城中納言殿
越前 第一 · 52
- p001…三河守殿は、德川殿第二の御子、御母は家の女房、いさゝかゆゑ有て、三河國產見といふ…
- p001…給ひ、德川殿御子ともし玉はず、本多作左衞門重次とりて養ひ參らせ、御名をば於義丸殿と申奉る、御兄岡崎の三郞殿、如何にもして、父上の見參に入ればやと思召し、…
- p001…と申奉る、御兄岡崎の三郞殿、如何にもして、父上の見參に入ればやと思召し、於義丸殿三歲の御時、德川殿岡崎の城に入らせ玉ふこと有りしに、かねて能く敎へ參らせ…
- p001…參無くては事あしかりぬと思召され、德川殿再ひ御座につかせ玉ふ、三郞殿頓て於義丸殿の御手を引て參り玉ひ、近う渡り給へとありし程に、御膝の上にかきすゑ玉ひし…
- p001…くても猶重次が許にぞ、ひとゝならせ玉ひける、三郞殿うせ給ひて後は、德川殿此人のましますを、賴もしき事に思召す、天正十二年冬、豐臣秀吉北畠殿につきて、…
- p001…、三郞四郞殿をのぼせ給ふべしとありしに、御母上ゆるさせ給はねば、力なく、於義丸殿のほらせ玉ふべきに定り、この年十二月の末、大坂に趣かせ玉ふ、秀吉深く悅ひ…
- p001…の年十二月の末、大坂に趣かせ玉ふ、秀吉深く悅ひ、やがて元服の儀行なはれ、羽柴秀康と名のらせ、河內國にて所領參らせ、一万石明る十三年七月十一日、みづ…
- p001…て所領參らせ、一万石明る十三年七月十一日、みづから關白し給ふとき、秀康朝臣御年十二歲なるを、四位の少將兼三河守になさる、抑關白守殿を養君とし給ひし…
- p001…し給ふとき、秀康朝臣御年十二歲なるを、四位の少將兼三河守になさる、抑關白守殿を養君とし給ひし事は、去りし天正十二年の春より、北畠殿と軍起りしに、德川…
- p001…にも見參せんと謀らる、されど德川殿彼れの望に任せらるべしとも聞えされば、守殿うしなはれ給べきなど風聞す、德川殿此よしを聞召し、初め秀吉が望みしによつ…
- p001…家康が子にあらず、秀吉の子殺さんに、家康何とか思ふべきと、驚かせ給はず、秀康の御母お万どの、後に長勝院といふ深く是を歎き、此上は都にのぼり、兎…
- p001…どの、後に長勝院といふ深く是を歎き、此上は都にのぼり、兎にも角にも、守殿とこそ一所にならめとて、迷ひ出玉ふに、村田意竹入道、かひ〱しく、御供して…
- p001…らめとて、迷ひ出玉ふに、村田意竹入道、かひ〱しく、御供して、都にのぼり、守殿の御館に入れまゐらす、同き十三年の十二月、北畠の使として、羽柴下總守勝雄…
- p001…且は秀吉御父子にも御對面のため、御上洛あるべうもや候と申ければ、家康いま秀康に對面して何事をか語らふべき、且彼父の關白殿にだにも、參會に及ぶべからず…
- p001…せ給へとて、大廳を下し給ひしによつて、やがて都に登り給ひぬ、十五年の春、參河守殿御年十四歲、關白殿と共に、筑紫に渡り、一方の大將にて、日向國を平け、十六…
- p001…國を平け、十六歲の御時、伏見の馬場に出で馬めされしに、殿下の御厩の預り、守殿と爭ひて馬を馳せ、頗る無禮に及びければ、馳違ひさまに、御刀を拔て、首を中…
- p001…て、首を中に打落し給へば、爰に有合ふ關白の御家人等狼籍出來ぬとひしめく、守殿馬かけすゑ、はたと睨らまへ、やあ如何に殿下の御家人たらんものが、秀康と爭…
- p001…く、守殿馬かけすゑ、はたと睨らまへ、やあ如何に殿下の御家人たらんものが、秀康と爭て、馬はせ、且は無禮をいたすべきやうやはある、あしうふるまつて、かた…
- p001…、且は無禮をいたすべきやうやはある、あしうふるまつて、かたがたも過ちし、秀康怨むなと仰ければ、恐れて近づくものあらず關白此よし聞し召、秀吉が子に向て…
- p001…白此よし聞し召、秀吉が子に向て、無禮せんやつ、其罪死に當れり、あつはれ、秀康は心剛なるのみならず、はやわざも、人にずぐれたんなど、却て御感に預り玉ふ…
- p001…殿下の御一族を賜て、聟君とし、我家を讓らばやと望む、關白殿悅ばせ玉ひて、於義丸を下すべしと仰ありしに、使者申次の人に近づきて、いづれの御事にわたらせ給…
- p001…あると、仰られしかば、愼みて仰せ承て下る、今年關白殿、北條を打亡し、まづ守殿を結城の館に入れまゐらせ、自らも彼館に至り、泊らせ玉ふこと三日を經て、奧…
- p001…彼館に至り、泊らせ玉ふこと三日を經て、奧に下らせ玉ふ、同き八月六日、晴朝守殿に家ゆづらる、是より結城殿と申し、十万千石の地、領せらる文祿…
- p001…三日を經て、奧に下らせ玉ふ、同き八月六日、晴朝守殿に家ゆづらる、是より結城殿と申し、十万千石の地、領せらる文祿の初より、朝鮮の事起る、肥前の…
- p001…玉ひ、三成職解て、おのが城に籠居すべきに極る、猶路の邊れぼつかなしとて、守殿して送られしかば、三成難なく近江國佐和山の城に入る、此年九月、德川殿重陽…
- p001…ふ、大坂の家人相謀て、うしなひ申さんとの結搆ありと、告け申ものあり、此時守殿伏見の城に留守せさせ給ふ、伊奈圖書して、御家人等盡く參らせらるべきよし仰…
- p001…內、二番は既に御供に參る、殘る所の四番をも、皆まゐらすべしとありしをば、守殿とめ置かれて、御運傾かせ給はんには、たとへ何百万騎を參らすとも、叶はせ給…
- p001…て、御勢配のやうを、一々に書記し、伊奈に給て歸されたり、德川殿、あつはれ參河守は、父には生れまさりけりと、御感淺からず、明る年の秋、德川殿、奧の景勝中…
- p001…入らん、誰か此所に殘り留て、軍をばすべきと仰らる、正信誰とか更に申べき、守殿に若くことやあるべきと申、さらば召せとて召す、守殿御參りあるに、正信むか…
- p001…正信誰とか更に申べき、守殿に若くことやあるべきと申、さらば召せとて召す、守殿御參りあるに、正信むかひ參らせて、いかに守殿、天下の安危は、今日に決し候…
- p001…きと申、さらば召せとて召す、守殿御參りあるに、正信むかひ參らせて、いかに守殿、天下の安危は、今日に決し候ひぬ、能く心して物申させたまへと申て、御跡に…
- p001…りて、關東を鎭めなば、我はまづ上方に向て戰んとおもふは如何にと仰ければ、守殿御氣色あしう成て、秀康いかでか御後に殘り候べき、只いづく迄も、御先をこそ…
- p001…我はまづ上方に向て戰んとおもふは如何にと仰ければ、守殿御氣色あしう成て、秀康いかでか御後に殘り候べき、只いづく迄も、御先をこそかけ候べけれと、のたま…
- p001…は、且は弓矢とつての面目、何事の孝行か、是に過べきと仰ければ、やゝ有て、守殿軍は必勢の多少によらぬと承る、上方の大將にも名を得たる輩少からず、勢のほ…
- p001…と承る、上方の大將にも名を得たる輩少からず、勢のほども又さこそ多からめ、秀康いまた軍には慣らはねども、景勝一人が勢と戰んに、何程の事か有べき、あはれ…
- p001…、こたび奧方の大將して能き軍し、天下に名をあげ玉ふべしとて、參らせらる、守殿も、御心地よげに御暇申させたまひ、下野國宇都宮に陣取て、關東を鎭めたまひ…
- p001…長六年の五月、福井の城に移り給ひぬ、六十七万石を領し給ふ、按するに、守殿宇都宮より江戶に入せ玉ひ、夫より伏見に參り玉ひ、越前を賜て、伏見より…
- p002…參議忠直卿は、中納言殿の御嫡子、童名は長吉丸、父の御跡つがせ給ひ、慶長十六年の春、將軍家の御前…
- p002…寄手討るゝもの三拾餘人、上田隼人竹嶋周防自害して、一族郞等をたすく、是は故中納言殿うせ給ひて後、宗徒の家人等二ツに成て、確執止む事なく、本多久世弓木牧上田…
- p003…○故中納言殿の家人永見右衞門尉と申は、父は中務といひ、母をば池鯉鮒殿と申て、大御所の…
- p003…門尉母と共に、彼家に仕へて、後は一萬七千石の地を領す、彼れが廿四才の時、中納言殿失せ玉ひしかば、冥途の御供仕らんとて、腹切て死す、其子をも右衞門尉とぞ申…
- p003…大に歎き、あはれ我夫は弓矢取る身のならひなれば、さばかり惜しかるべき命、君に參らせぬ、たとへ我れ子なくして、只ひとり住む身なりとも、いかで再ひ世の…
- p004…將軍家も故中納言殿の御事を思召し、且は聟君にておはしませば、如何にもして彼が心の改り給ふ樣…
- p006…參議忠昌卿は中納言殿第二の男、童名は虎之助、慶長十九年の冬、御年十九歲にて、兄少將殿の手に屬…
- p009…左少將直政朝臣は、中納言殿の第三の男、御母は家の女房、中納言殿越前の國賜て、伏見の御館より首途し入…
- p009…左少將直政朝臣は、中納言殿の第三の男、御母は家の女房、中納言殿越前の國賜て、伏見の御館より首途し入部し給ひし時、近江の中河內といふ所に…
- p009…松殿十四歲の時、大坂の軍起る、御母上、國松殿を近づけ參らせ、殿はまさしき故中納言殿の御子、大御所の御孫にてわたらせ玉ふ、梅檀は二葉よりかうばしとこそ承れ、…
- p011…侍從直基朝臣は、中納言殿の第五男なり、生れ給ひしより、左衛門督晴朝とりて養ひまゐらせ、結城五郞八…
- p011…まひぬ、片粕は、越前の地の名晴朝の住玉ひし所なり晴朝年老て、中納言殿におくれ參らせ、深くなげき玉ひけれど、此御孫を育て參らするに憂きを忘れて…
- p011…城の地を領し關東八家の一つなり、晴朝に至り、世嗣なく、豐臣太閤の仰にて、秀康卿を養て世嗣とす、秀康又この直基朝臣して、其家を嗣がせ給ひけり、寛永三年八…
- p011…一つなり、晴朝に至り、世嗣なく、豐臣太閤の仰にて、秀康卿を養て世嗣とす、秀康又この直基朝臣して、其家を嗣がせ給ひけり、寛永三年八月十九日、從四位下の…
- p012…侍從直良朝臣、童名長光丸、中納言殿の六男なり、寛永三年八月十九日、從四位下土佐守に任し、正保元年正月十一日…
松平(久松) 第三 · 1
- p002…身にもあらず、今まだ此子都にまゐらすべしとも思はずと泣きくどかせ玉へば、於義丸殿をぞ登せらる德川殿、これは三郞四郞が母上に、うつたへ申しゝ故なりとて、御…
酒井 第四上 · 1
- p008…助けん程は、信雄を失ふ事叶ふ可らずとて、終に北畠殿に見參し、此卿を賴み、於義丸殿を養君となし、また御妹を濱松へ參らせ玉ひしかば、德川殿も都に上り給ふべし…
本多 第四上 · 12
- p003…られしに、先陣して、城を攻おとす、頓て秀吉信雄、中直りし玉ひ、信雄に就て於義丸殿を養君とし玉ふ時、重次が子仙千代丸も、石川伯耆守數正が子と同く、附て參ら…
- p003…し玉ふ時、重次が子仙千代丸も、石川伯耆守數正が子と同く、附て參らす、抑此於義丸殿と申は、德川殿の御二男、故ありて、生れ落させ玉ひしより、重次とりて養ひ參…
- p003…ひしかば、我獨子にて愛しける仙千代丸つけてまゐらせたり、秀吉も、うへには於義丸殿を養ひ參らするとは披露あれど、內々は人質とし、德川殿に親しくならん謀にて…
- p003…悅び玉ふ事斜ならず、去程に、秀吉正二位内大臣に歷上り、關白の職になつて、於義丸殿にも元服させ、秀康と名乘せ、從四位下左少將兼參河守に任し、信雄卿を媒とし…
- p003…程に、秀吉正二位内大臣に歷上り、關白の職になつて、於義丸殿にも元服させ、秀康と名乘せ、從四位下左少將兼參河守に任し、信雄卿を媒とし、德川殿御上洛の事…
- p003…殿御上洛の事を勸め玉ふこと、度々に及べども、上り玉ふべしとも聞えず、依て三河守殿も失はれさせ給ふべしなど風聞す、三河守殿の御母、此事を聞玉ひ、守殿失はれ…
- p003…も、上り玉ふべしとも聞えず、依て三河守殿も失はれさせ給ふべしなど風聞す、三河守殿の御母、此事を聞玉ひ、守殿失はれ給ひて後、一日も世にながらふべしとも覺え…
- p003…て三河守殿も失はれさせ給ふべしなど風聞す、三河守殿の御母、此事を聞玉ひ、守殿失はれ給ひて後、一日も世にながらふべしとも覺えず、死なば一所にこそ死なめ…
- p003…ば、母がいたはり以の外に候、暫しの暇を給て、此世の暇乞をも仕らせばやと、守殿へ申て、呼ひ迎へぬ、幾程なく、石川伯耆守數正は、德川殿に背きて、秀吉の御…
- p003…、誠に思慮深くは見えけれ、斯て關白殿の仰にて、仙千代丸とく參らすべしと、守殿よりの御使、度々に及ぶ、重次も詮かたなく、是もいたはる所の候、且は母が病…
- p005…り玆につけ參らせて候、御用の事あらば承りなんずといふを、今思ひ合すれば、三河守殿の初て御參ありし時、仙千代丸といふ兒の御供したるを、殿下の御覽じて、あれ…
- p010…本多丹下に玉ふと云云、四万三千三百石餘を領せしなり、一說に、慶長六年に結城殿に附らるゝといふ、覺束なし、また伊豆守といふは、むかし成重が身代りに…
井伊 第四上 · 2
大久保 第四中 · 1
- p004…我妻とは、すまじいものをと云ひしかば、康直怺へず、打切て逃け去りぬ、其後結城殿、賓客のやうにて召し置れ、祿七千石を賜ふ、其時は入道して加藤宗月と申せし…
太田 第六 · 1
- p006…べきにあらず、去ながら三樂が、後に常陸にてまうけし子太田安房守といふは、三河守殿に仕へて、越前國にあり、彼れ太田の嫡流にして、賴政より道灌に至るまでの系…
毛利 第八上 · 1
- p006…門守に任ず、同き五年十月十一日に侍從になされ、十三年六月、大御所の御孫女三河守殿の御娘、秀就の家に入り給ふ、大坂の軍、起りし時、秀元秀就共に關東に馳せ向…
土方 第八下 · 1
- p002…己が國に籠居し、雄久治長、流されて大名に預けらる、土方は佐竹に大野は結城殿に同き五年の秋、東西一時に軍起る、德川殿雄久を小山の御陣に召し、御使に…
水谷 第九下 · 4
- p003…三年六月廿日に卒しけり、入道女子一人あり、結城左衞門督晴朝の室にして是結城中納言殿の御養母なるべし其餘家繼くべき男子なく、舍弟左京大夫勝俊、家を繼く、…
- p003…軍起る、德川殿の仰を承て、己が城を守る、其後天下悉く德川殿に隨ひ參らせ、三河守殿、越前國を賜らせ給ひし時、水谷多賀谷山川岩上の者共は、もと結城の家の四天…
- p003…谷山川岩上の者共は、もと結城の家の四天王なればとて、大御所の仰として、皆守殿に属けられ、越前國に移る、勝俊が甥同織部某を、守殿には參らせたり、勝俊又…
- p003…、大御所の仰として、皆守殿に属けられ、越前國に移る、勝俊が甥同織部某を、守殿には參らせたり、勝俊又本領を賜て、下舘の城を領す、卒せし年月未た知ら…
那須 第九下 · 3
大田原 第九下 · 1
- p005…此大田原の城に、御陣を移さるべきに定る、斯る所に、上方にも兵起りしかば、結城殿を、奧方の討手の大將として、數多の軍勢を、下野國に止められ、引返して上り…
松平(大須賀) 第十一 · 1
- p001…十七日叙爵して出羽守に任ず、明れば五年の秋東西の軍、一時に起りし時、忠政結城殿に從ひ軍奉行を承て、宇都宮の城に留る一說に舘林の城守とも六年の春再…
皆川 第十一 · 1
- p001…の地をぞ給りける、三万石慶長五年の秋東西の軍一時に起る、廣照父子は參河守殿の御手に屬し東國に止る、大田原の邊に陣取しと也同き八年二月六日、上…
福嶋 第十二上 · 8
- p005…明れば六年參河守殿越前の國賜はらせ給ふ、入部なされしに正則自ら北庄に行き向ひ賀し申さる、守…
- p005…殿越前の國賜はらせ給ふ、入部なされしに正則自ら北庄に行き向ひ賀し申さる、守殿の宗徒の御家人に向ひ、正則この後も常に門下に伺候せんに家なうても叶ふべか…
- p005…ず、家作るべき地給はらばやと望て、其後また正則年來のよしみ忘れ參らせず、守殿天下の御大事あらんには正則必御味方仕るべし、さりながら太閤の仰せ置るゝ旨…
- p006…按ずるに守殿は太閤の御養君たりし故、正則その好みを思ひしにや、又守殿の御身に天下の御…
- p006…按ずるに守殿は太閤の御養君たりし故、正則その好みを思ひしにや、又守殿の御身に天下の御大事あらんと云ひしは、守殿は御兄にて大相國家は御弟なれば…
- p006…、正則その好みを思ひしにや、又守殿の御身に天下の御大事あらんと云ひしは、守殿は御兄にて大相國家は御弟なれば、德川殿かくれさせ給はゞ、必天下の御爭ある…
- p012…黨を結び盟を司どつて、東西の御中を隔て天下を亂さんとす、これのみならず、參河守殿へ參りて申せし言葉の末を聞くに、守殿をして管蔡となし參らせんとせし由なり…
- p012…下を亂さんとす、これのみならず、參河守殿へ參りて申せし言葉の末を聞くに、守殿をして管蔡となし參らせんとせし由なり、其罪誠に淮夷徐戎の武庚祿父と共に叛…
里見 第十二上 · 1
- p003…かゝる所に上方又軍起て、德川殿御父子引返して攻め上らせ給ひければ、義康は參河守殿と同じく下野の國宇都宮の城に留て景勝と戰はんとす、關が原の戰ひ事終つて、…
石川 第十二下 · 2
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