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○黑田滿德丸袴著の時母里但馬舞をまひし事

卷之十九 第3話 · 段落 1 · NDL 1078984 300コマ R

人物地名家(氏)官職日付索引へ

黑田長政の嫡子滿德丸とて、四の歲袴著の祝有り。母里但馬はひき目親にて、常に爺と名づけられしが、其時但馬滿德丸の髮を搔撫でて、疾く成長して功名し、父上より克くし給へ、と申しければ、長政、何といふ事ぞや。我武略を貶するか。若き時は汝又備後栗山とも相謀りき。朝鮮に渡り、又關ヶ原の合戰も皆汝等が扶に依らず大敵に勝ちたり。其後世太平なれば立つべき武功もなし。滿德如何に思ふとも我を越ゆる事存じも寄らず、とて膝立直し、但馬を睨まれしかば、人々汗を流す處に、但馬側に向ひて、故無き怒かな。人の子に功名し給へと云ふは僻事か、とて物ともせざる體にて、長政の方を見向もせず。長政、否父より優れとは如何に、と怒られしかば、但馬打笑ひ、心を靜めて聞き給へ。武功は幾度事に會ひても、仕澄したりと思ふ事は無く、度每に不足なる者に候。他人は類無しと褒め立つれども默して過ぎ候よ。良き軍兵を引具し地の利よく、幸に勝ち給へるを、自讚は以ての外の僻事にてこそ候へ。今まで勝軍に慣れて、每度斯くの如くならんとならば必ず敗北有るべし。味方崩れたる時一足も引かず討死は、殿の得ものなり。其は大將の道にあらず候。味方を討たせず軍に勝つを良將と申し候。殿の武略進む一途は得ものにて御座せ共、進退圖に中る一途は缺けて御座しまし候。此是非の論は備後老功の者にて候間、時々問はせ給へ。滿德殿、只一人駈け出でて討死する事は葉武者の業なり。死なぬ樣に軍に勝つを大將の道にはする事に候。此詞よく覺えて疾くより能し給へ、と髮を撫でて長政の怒を物とも思はぬ氣色なり。備後守次の間に酒宴して有りしが聞きつけて、銚子土器取持ちて走り出で、長政の前に跪き、憚も顧みず進め奉り候、とて盃を差置き、若き時如水公の小姓たりしかば御酌は致し習ひし、小笠原の禮儀存じ出し候、とて酒を進めければ、長政打解け盃を傾けられしかば、夫を但馬に賜り候へ、とて、狂人よ。夫へ罷出でよ、と言ひければ、但馬進み寄り其盃を戴きて、三度引受け飮みて後、殿は由無きに怒り給ひ、今日の祝に興醒め候。少し醉ひ給へ、と云ひしかば、長政も又盃に十分引受けられし時、但馬、いざ肴よ、とて田村を謠ひ出し舞澄したり。鬼の如くなる男の稽古せしか、拍子も耳目を驚かせり。皆一同に、兵の交り、と謠ひて酒宴盛になりければ、備後守高聲に、若き人々能く聞かれよ。心掛の深きも殿、又思慮無きも殿なり。大戲者は但馬、又賴母しきは但馬なり。黑田の家の武勇目出度き時ぞよ、と皆々酒を酌交し、事有らん時鎗を合せ、爲すべき事を爲し置く時は何事も許し給ふぞ。人々謠へや舞へや、とて酒宴止みてけり。又長政或年の春歲初の祝に、栗山備後守が許に行かれしに酒宴有り。四つ比に及んで長政、我居たらば、若き者共酒思ふ程得飮まじ。後にて打解けて酒宴せよ、とて歸られしに、但馬、今少し居て若き者共に懇に詞をかけ、人の悅ぶ樣にこそ有りたけれ。兎角我儘の直らぬ殿なり。頂に大きなる灸をしてこそ能かりなめ、と大音にて云ひしを、長政聞かぬ體にて歸られけり。