古田織部重勝は太閤の家人、若き時より茶事を好きて千利休が門人にて、此事好む人は重勝を一世の師匠とす。元和元年夏兩御所京都を打立たせ給ふを待ちて、天子を取り參らせ二條の城を攻取り、京中燒拂ふべし、と大坂に心を合せし事顯れて、父子とも誅戮せられけり。此織部正は古き珍器の全きをば好まず。されば書畫樣の物も彼處を切りこゝを裁ち多く損ひて、さて補ひ綴りて用ひしを、世に興有る事と思ふ人、多くこれに效へり。松平伊豆守信綱の父大河內金兵衞元綱人に語りて、此古田は必ず禍にかゝりて死すべき者なり、と言ひしに、果して違はざりければ、人々、爭で斯くは相しける、と問ふに、元綱、されば古の寶器と聞えし物世の亂に失ひて、今殘れる處の物は皆神の護持にてこそあらめ。それを己が目を悅ばしめんとて一人の好に任せ毀ひ破る事、神明必ず惡むべしと思ひし故、其人の身も全うして終る事を得じと言ひたりき、と答へしかば、聞傳へて名言とせしとぞ。