○秀吉有岡城へ使者に行かれし事附河原林越後山脇源大夫が事
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秀吉河原林に與へられし脇指は三條吉廣が作なり。河原林が舊友山脇源大夫重信に傳へたり。山脇は攝州の人、幼かりしより勇名の聞えあり。甲州に往きて內藤修理が許に在り。其後攝州に歸り、荒木攝津守村重に仕へ、頻に用ひられて長臣たり。村重神田伊賀守と軍の時、神田が軍奉行郡兵大夫は勝れし剛の者なるを、毛附して討取つたり。凡首數九十八取りて首供養三度せしとなり。荒木亡びて重信中川淸秀の許に隱れ居たり。淸秀の妻は重信が叔母なり。前田利家、柴田勝家、丹羽長秀一萬石をもて招かれしかども引籠り居たりしを、護國公池田信輝公懇に招かせ給ひしかば來り仕へ、山崎合戰に明智が士大將、丹波國にてしら山と言ひける城を預り居たる村上源之丞と馬上にて鎗を合す。山脇が鎗は十文字にて村上が馬の額に疵附き、馬飛出でければ源之丞馬より落ちけるを、從者駈け來り助くるを、源大夫詞をかけ村上と引組みける所を、味方數多落ち合ひて村上が首を得たり。其後も功名有りて士三十騎の將たり。