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○秀吉有岡城へ使者に行かれし事附河原林越後山脇源大夫が事

卷之十一 第13話 · 段落 2 · NDL 1078984 196コマ R

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秀吉信長の使者として荒木村重が有岡の城に來る。村重が士河原林越後守治冬、猿めが面魂遂に仇をなすべし。今刺殺さん事易からん、と村重に囁きけれども村重聞入れず。此事を秀吉に語りければ、秀吉治冬を呼出して懇に詞をかけ、差したる脇指を拔きて引出物にぞしたりける。村重、指替の無くて、と言へば、秀吉、吾刀一つを頼みて信長に奉公する者に非ず、と言はれけり。後秀吉世を平げて治冬を深く惡み、探し出して殺されけるに、治冬君の爲に其仇を除くは武士の常の事なり。秀吉舊き怨を忘れず無道なり、と言ひて死したりけり。
秀吉河原林に與へられし脇指は三條吉廣が作なり。河原林が舊友山脇源大夫重信に傳へたり。山脇は攝州の人、幼かりしより勇名の聞えあり。甲州に往きて內藤修理が許に在り。其後攝州に歸り、荒木攝津守村重に仕へ、頻に用ひられて長臣たり。村重神田伊賀守と軍の時、神田が軍奉行郡兵大夫は勝れし剛の者なるを、毛附して討取つたり。凡首數九十八取りて首供養三度せしとなり。荒木亡びて重信中川淸秀の許に隱れ居たり。淸秀の妻は重信が叔母なり。前田利家、柴田勝家、丹羽長秀一萬石をもて招かれしかども引籠り居たりしを、護國公池田信輝公懇に招かせ給ひしかば來り仕へ、山崎合戰に明智が士大將、丹波國にてしら山と言ひける城を預り居たる村上源之丞と馬上にて鎗を合す。山脇が鎗は十文字にて村上が馬の額に疵附き、馬飛出でければ源之丞馬より落ちけるを、從者駈け來り助くるを、源大夫詞をかけ村上と引組みける所を、味方數多落ち合ひて村上が首を得たり。其後も功名有りて士三十騎の將たり。