常山紀談本文データベース

目次 › 卷之十五 › e354

○三宅喜藏武勇の事

卷之十五 第12話 · 段落 4 · NDL 1078984 255コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

義統木附の城に向ふ時、細川忠興の士大將松井有吉、加藤淸正に加勢を乞ひたりければ、三宅喜藏を遣られけり。三宅、殿の先陣にて功名せんと思ひしに、他國に往きて城に屈り居らん事は存も寄らざる事なり、といふ。淸正、汝が武功有る故に、他國に遣したりとも我名を汚さじと思ひ寄りたるに、己が名を貪るこそ心得ね。永く我家を去つて心任にせよ、と言はれしかば、三宅其處を出て、庄林隼人に斯くと告げ、殿の咎を蒙りたれど、殿ならで奉公せんと存ずる大將も候はず。あはれ隱し置きて給はらんや、と言ひしかば、隼人心得たりと許しけり。淸正宇土の城を攻むる時、三宅は茜の三本じなひの差物さし、夜半より鹽田口の堤に行きて明くるを待つ。宇土には南條元琢籠り居たり。此元琢は伯耆羽衣石の城主南條左衞門元次イ〓が二男にて、兄の元重に劣らぬ大剛の者なるが、毛利元就と軍する事度々に及びけるに、敵寄ると聞きて只一騎馬上にて上帶しめて駈け出し、半里が程に軍兵共追附いて、速に國境に馳せ行き、押寄する軍兵を追散したる勇士なるが、秀吉の勘氣にて小西行長が許に隱れて、朝鮮にても武勇の振廻せしなり。此度淸正寄ると聞き、只一騎城を乘出す。元琢が從者福西九郞大夫、是も十八の時より朝鮮の軍に會ひて物師なるが、元琢に後れじと城を出でて馳せ行く所に、山の上に淸正の馬藺の馬印閃きて見えければ、彌進んで三宅に行合ふ。元琢馬より下りて三宅と鎗を合せたる處を、福西透間なく走り寄り三宅を斬る。三宅が突きたる鎗を、元琢握りて遂に引奪ひて旣に危かりしに、三宅が從者元琢が冑の眞向を一刀斬附けたり。元琢目眩きてくる〱廻りながら刀を拔いて、三宅が從者を切倒す。淸正、茜の三本じなひは三宅喜藏ならん。討すな者共、と下知せらるゝ詞の下より、飯田角兵衞、庄林隼人馬に諸鐙を合せて駈け來りければ、元琢、敵續きなば惡かりなん、と三宅を捨てて引返す。淸正三宅を呼びて、其日被られし羽織に千石の祿を添へて與へられけり。
其後關ヶ原の軍破れて行長生捕になりしかば、淸正使を城に立て、城を明け候へ、と云はれしかば、城代小西隼人、自害して城中の者共助け給はらんや、と申す。淸正許諾して八代の城代小西若狹も自害し、宇土、八代を淸正に授く。淸正南條に六千石の祿を與へられけり。三宅と南條と物語するに、元琢、汝を討留めずして殘多し、と戲れしかば、三宅、我もさ存ずるなり、と言ひけるとぞ。
三宅、宇土にて組みたる時忽ち刺殺すべきに、其日指たる小脇差少し長かりし故なり、と語りしと云へり。