關ヶ原亂の時、大友義統木附の城を攻むると聞きて、如水後卷せられしかば、大友立石に引退き、石垣原に先陣を押出す。黑田の士大將久野治右衞門歲若しとて會我部1五左衞門を添へられしが、敵四五千許立石の民家を後に當て待ちかけたるを、久野遙に見て金の天衝の指物さし、栗毛なる馬に乘り懸れ、と下知しけるを、會我部2、今暫し待たれよ、早くば勝利候まじ。下り立ちて馬に息吐がせ、一同に割籠つかはせ、後に味方の續かん時衝懸り一戰すべし、と言へ共聞入れず。久野が從者荒卷軍兵衞と言ふ者豐前の地士なりしが、若き時宮松と言ひて十五歲より功名せし剛の者、五右衞門が詞尤なり。馬に當て倒し蹴散すと申すは敵によるべし。今日の敵は國替の時能く知りたる者にて皆物師なり。近年落ぶれて此亂を死すべき時節と思ひ定め、鎗を膝の上に置き靜まり居たる所へ、一騎二騎ばら〱と駈合はせんに如何で勝つべきや。鎗を突折る程の軍ならでは叶ふべからず、とて馬より飛び下り、久野が馬の口に取附き、若氣ながら餘りの逸り樣にこそ候へ。後陣に先を越さればこそ恥ならめ。後に押詰めん時に懸りて突崩すべし、と云ひけるに、平田彥右衞門といふ者馬に乘りながら、否々後陣を待たんとせば、井上、野村すゝどき男なれば必ず先を爭ふべし。大友が者共木附にて疲れ又爰に來りたり。進め〱、と言ひければ荒卷怒つて、平田、汝と共に豐前の者なるが、度々手なみは知つたるよ。今井の濱の軍に汝を追駈けて、具足の押附切つたりし疵は有るべきに、其後四兵衞治右衞門が父汝を呼出すとて問はれし時、汝が健氣さに討止めざりきと言ひつる故に祿を得しかば、我陰と悅びしは忘れたるか、と言ひ捨てて馬に乘り先駈すれば、二十騎許續いたるを押詰めて懸りけり。敵三手に分れたるを一陣を突崩す。久野逸りたる者なれば少もためらはず、一文字に乘込み戰ひけれ共、大友が兵共度々の事に慣れ、今度の亂れに故主の招きに從ひ、今日を限りと芝居にひたと折敷き待ちかけたれば、久野主從五騎一所にて討たれけり。會我部3は久野が討たれたる所に橫合に駈入りて討死す。平田は久野が討るゝを見て馬を引返して引退きぬ。荒卷は敵競ひ掛るを見て、いざ引かんとて人數を集むるに、敵嚴しう進むを見て、首をば皆捨てさせ、馬に輪を懸けて引きさがり、後殿して引退きけるが、久野が討死を知らざりし故、其日の功名徒に成りにけり。黑田の二陣の士大將井上九郞右衞門元房後に周防と云野村市右衞門後隼人といふ遙に跡にて閧の聲を聞き、此山に上りて敵の軍立を見拔くべし、と井上手の者に下知し進み行く。野村、先に軍有るは分明なり。何見分くる事の有るべき、と言へ共、井上が陣押固めて通さざれば、今少し先に押出されよ。廣き所にて陣せん、と言へども聞入れざれば、獨言して怒りける所に、井上主從三騎小山に乘り上げ、指物を拔いて味方を招き陣を進めけり。
- 誤植會我部 — 底本「會我部」。振り仮名「そがべ」から「曾我部」の誤植か。
- 誤植會我部 — 底本「會我部」。「曾我部」の誤植か。
- 誤植會我部 — 底本「會我部」。「曾我部」の誤植か。