同賊有馬の城に據り、諸將圍攻る時、賊强くして寄手利あらず。上使板倉內膳正討死の後、松平伊豆守信綱の下知として攻を止め、竹束を附寄圍む事數重、只彼が變を待つて不㆑戰。伴助右衞門と號する浪士、黑田右衞門佐忠之の備を借りて居たりしが、永陣の間諸人氣力疲れ、勇氣も脫怠す。伴は晝夜物具を不㆑脫、鍪を枕として臥しける程に、相陣の者目悟しき事にとなへながら、今此大軍に被㆑圍、竹束鹿垣の內に込られたる賊徒多く切りたり共、物具を著する隙なき軍やあるべき。餘り心がけすぎて精根つきなば、城中糧盡きて、死狂の軍には何の用にも立つべからず、と云ひ合へり。翌年二月二十一日の夜、賊黑田の手へ夜討す。一揆の勢千百人、蘆塚忠兵衞、布津村代右衞門、大將分にて押寄せたり。何の陣も思ひよらず、周章不㆑斜、上を下へ混亂す。伴はもとより甲冑を著し、鎗を放さず有りければ、一番に走り出で竹束を破り押入り、敵を突伏突伏二人討ちとり、此時未だ味方一人も來らず。賊柵越に伴が右の腰車をつく。其鎗を握りて引取りし所に、又一人伴が左の股を突く。是をも奪ひ取り、鎗二本ながら得たりしかども、腰の疵痛手にて立揚ること叶はず。旣に討たるべき處に、黑田家の老臣黑田監物が人數進み來りて敵を追はらふ間に、伴が僕肩にかけて小屋にかへる。同二十八日落城には、件の疵を痛みて手に不㆑合。後平癒せしかば忠之伴に祿八百石與へらる。伴辭して、臣は先知乏く、且武功とてもなし。偶此度御恩にて御備の端に被㆓差置㆒、少々疵を蒙る迄の操有りて過分の祿を賜る事、身の幸甚しと雖も、手疵深手故未㆑癒、自由の働心元なく候へ共、自然以後御用有らん時役に可㆑立や、その段計難く、御免を可㆑蒙候、と云ふ。忠之怒つて、彼が心中知高不足と思へるならん。我陣を借りて出陣せし上は我家人なり。臣として主命を背く罪輕からず、彼が言理有りて實なし。然れども武功に對し存分を止るのみ、他家に仕へて、士職に有ることを許さず、とて追出されたり。程經て江戶殿中にて水戶黃門賴房卿、忠之に向ひ、我大望あり、叶へらるべきや否や、と仰せらる。黑田、何事にも承り候はん、と諾せらる。賴房卿笑うて、先々令㆓滿足㆒候、と謝し、別儀にあらず、伴助右衞門と申す浪人足下構ある由、是を許され候へ、と仰せらる。忠之辭するに術なくして諾す。依㆑之伴は水戶家に仕へ、祿二千石足輕三十人預れり。