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石川数正
본문 표기 數正・石川伯耆守數正・伯耆守・石川伯耆守・伯耆守數正・石川出雲守・石川伯耆守康昌・康昌・內記・石川・出雲守數正・石川出雲守數正・嫡孫內記・康正・出雲守・伯耆守康昌・内記
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松平(荻生) 第二 · 1
- p001…、近正彼の代官として、軍勢を卒て、蟹江の城を責破る、明れば十三年十一月、石川伯耆守數正、岡崎の城を去て、秀吉へ參りし時、近正が許へ使たて、大野又右エ門とい…
水野 第三 · 4
- p001…給はず、其後關白家に參りしに、桑名にての振舞ひ、又年比の武勇を感し玉ひ、石川出雲守と同しく武者奉行をぞ給りける、忠重の關白家へ屬せし事は、如何なる故にや…할주는 伯耆守(数正)로 봄
- p001…同しく武者奉行をぞ給りける、忠重の關白家へ屬せし事は、如何なる故にや、石川出雲守といふは、伯耆守が事なり、かれと一時に武者奉行をうけ給はれば、伯耆守と…
- p001…りける、忠重の關白家へ屬せし事は、如何なる故にや、石川出雲守といふは、伯耆守が事なり、かれと一時に武者奉行をうけ給はれば、伯耆守と同しく、上方に參…
- p001…川出雲守といふは、伯耆守が事なり、かれと一時に武者奉行をうけ給はれば、伯耆守と同しく、上方に參りしなるべし天正十五年七月卅日、豐臣の姓賜て、叙爵す…
酒井 第四上 · 4
- p007…の城の木圖を謙信の許に送り遣はさる、此木圖近き比迄、上杉の家にあり、又石川伯耆守植村出羽守か許よりも、河田直江に書を贈れりと記す、然れは今年初て上…
- p007…軍せんと覺ゆるは、如何にと云ひければ、人々此義尤とて、一同に打出んとす、石川伯耆守數正、いや〱此定しかるべからず、我身は此所能く守れとこそ承れとて、長僉義に時…
- p007…門守康通も同じく續きて出たりけり、多からぬ御方、次第に無勢になり、人々又數正が心を疑ひし程に、忠次空しく兵を止む、數正此ほどより、秀吉に志を通せ…
- p007…方、次第に無勢になり、人々又數正が心を疑ひし程に、忠次空しく兵を止む、數正此ほどより、秀吉に志を通せしにやといひしなり、德川殿既に小牧に引かへ…
本多 第四上 · 4
- p006…られて、汝等は爰に扣へ候へと、御供の人々をば止められ、酒井左衞門尉忠次、石川伯耆守康昌、一說に數正、榊原小平太康政、後に式部少輔井伊万千代、後に…康昌 표기, 할주 一說に數正
- p006…と、御供の人々をば止められ、酒井左衞門尉忠次、石川伯耆守康昌、一說に數正、榊原小平太康政、後に式部少輔井伊万千代、後に兵部少輔直政、…
- p006…御先を打ち候はんには、道の程は、何の御恙か、わたらせ玉ふべきと申す、忠次康昌一同に、幸なる事を承る者かな、さらば忠勝が諫め申に御從ひ有て、道すがらの…
- p007…此時御供の人々には、酒井左衛門尉、石川伯耆守、高力權左衛門、本多藤四郎、石川長門守、高木筑後守、本多平八郎、榊原小平…
本多 第四上 · 1
- p003…られしに、康重疵いまだ癒されども、馳向て先をかく、ことし天正十三年十一月石川伯耆守、岡崎の城を出て、上方に參りしかば、康重、二男次郞紀貞を人質となして獻る…
本多 第四上 · 2
井伊 第四上 · 5
- p004…らせらる、此度は直政して送られたり、直政關白殿に召されて、饗應の儀あり、石川出雲守數正は、伯耆守が事なり別に傳あり直政が昔の傍輩なればとて、接伴に召さる…
- p004…して送られたり、直政關白殿に召されて、饗應の儀あり、石川出雲守數正は、伯耆守が事なり別に傳あり直政が昔の傍輩なればとて、接伴に召さる、直政數正に…
- p004…伯耆守が事なり別に傳あり直政が昔の傍輩なればとて、接伴に召さる、直政數正に打背き居て、面をもあはせず、殿下みづから茶點して給るべきに至て、數正ま…
- p004…政數正に打背き居て、面をもあはせず、殿下みづから茶點して給るべきに至て、數正また接伴す、直政かたへの人に向つて、これにさふらふ數正は、譜代相傳の主君…
- p004…て給るべきに至て、數正また接伴す、直政かたへの人に向つて、これにさふらふ數正は、譜代相傳の主君にそむき參らせ、殿下に從ふ大臆病の男なれば、直政彼れと…
大久保 第四中 · 2
石川 第四中 · 11
- p002…も、淸兼を大將にて、三河の人々向ひしなり、駿河の國府に入らせ給ひしにも、嫡孫內記御供に奉る、伯耆守數正なり、德川殿御軍始あるべしとて、參河國梅が坪…
- p002…河の人々向ひしなり、駿河の國府に入らせ給ひしにも、嫡孫內記御供に奉る、伯耆守數正なり、德川殿御軍始あるべしとて、參河國梅が坪廣瀨等の城を攻めらる、淸兼…
- p002…大藏と共に岡崎の留守たり、是義元朝臣の仰に依てなり、年若くして死す、伯耆守數正が父なり、○按ずるに此右近後に伯耆守といひしにあらずや、永祿より前の諸…
- p002…せるあり、又德川記に康昌と記せるあり、此右近が事にや、世に知れる所の伯耆守數正は、永祿の頃は內記と申て、伯耆守と申せしは、其後の事なり、但し數正初め…
- p002…昌と記せるあり、此右近が事にや、世に知れる所の伯耆守數正は、永祿の頃は內記と申て、伯耆守と申せしは、其後の事なり、但し數正初め御諱字給り、康正…
- p002…り、此右近が事にや、世に知れる所の伯耆守數正は、永祿の頃は內記と申て、伯耆守と申せしは、其後の事なり、但し數正初め御諱字給り、康正と名のり、上方…
- p002…耆守數正は、永祿の頃は內記と申て、伯耆守と申せしは、其後の事なり、但し數正初め御諱字給り、康正と名のり、上方に參りて出雲守と改めし時、名をも改…
- p002…頃は內記と申て、伯耆守と申せしは、其後の事なり、但し數正初め御諱字給り、康正と名のり、上方に參りて出雲守と改めし時、名をも改めて、數正といひしか、…数正 초명
- p002…は、其後の事なり、但し數正初め御諱字給り、康正と名のり、上方に參りて出雲守と改めし時、名をも改めて、數正といひしか、詳ならず、○一說に、家成が兄…
- p002…諱字給り、康正と名のり、上方に參りて出雲守と改めし時、名をも改めて、數正といひしか、詳ならず、○一說に、家成が兄則ち伯耆守なりといふ、二男日…
- p002…人、三河國東西の旗頭たりしに、掛川の城に移りしかば、三河國の旗頭の事は伯耆守に讓りしといふ元龜元年の秋、家成酒井左衞門尉忠次と大將を承り、都合其勢…
內藤 第四中 · 2
植村 第四中 · 1
- p006…され、其後出羽守と申て、寄騎の侍三十騎を附らる、家政酒井左衛門尉忠次、石川伯耆守數正、同日向守家成等と四人、當時國務の事を總べ司りしといふ、初め德川殿信…
安部 第四中 · 2
渡邊 第四中 · 3
松平(松井) 第四下 · 2
高木 第四下 · 1
- p001…、其後石が瀨の合戰の時、一日の內七箇度まで先を懸け、其後又石が瀨の戰に、石川伯耆守數正と槍を合す、是等の高名數ふるに暇あらず、三河國一向專修の門徒、德川殿に叛…
酒井 第五 · 3
小笠原 第六 · 1
- p001…吉と軍起る、此頃より貞慶また眞田と同しく、秀吉と心を合す、十三年十一月、石川伯耆守數正、岡崎を去て秀吉へ參し時、貞慶が人質をも引具して行く、かねて貞慶といひ合…
石川 第十二下 · 29
- p001…玄蕃允源康長は出雲守數正が嫡男也、康長五代の祖左兵衞尉親長が時に、德川家に仕へ、安藝守淸兼が時に…
- p001…らせ給ひしうち、今川殿の仰承て淸兼が嫡子右近、岡崎の城を守れば、右近が男内記は德川殿に隨ひ參らす、淸兼卒して右近世を早うし、內記元服して伯耆守數正と…
- p001…城を守れば、右近が男内記は德川殿に隨ひ參らす、淸兼卒して右近世を早うし、內記元服して伯耆守數正とぞ申しける、…
- p001…右近が男内記は德川殿に隨ひ參らす、淸兼卒して右近世を早うし、內記元服して伯耆守數正とぞ申しける、…
- p002…或記に石川伯耆守が名を康昌としるせり、世には數正と云ふなり、世に傳ふる所の如くならんには…
- p002…或記に石川伯耆守が名を康昌としるせり、世には數正と云ふなり、世に傳ふる所の如くならんには、後に上方…
- p002…或記に石川伯耆守が名を康昌としるせり、世には數正と云ふなり、世に傳ふる所の如くならんには、後に上方に參り出雲守になりし時…
- p002…、後に上方に參り出雲守になりし時に、名をも改めたるにやあるべき、されど又伯耆守數正としるせし狀も見し事あれば、いかにとも定め難し…
- p003…德川殿御軍始の日より數正常に御陣に侍ひて、永祿四年二月石が瀨の戰に、水野殿のうちにて大剛の者と聞…
- p003…國府に止め置かせ給ひし若君、失はれ給ふべしと聞ゆ、岡崎三郞殿の御事數正かくと聞て幼き御身の失はれさせ給はんに、御介錯に侍ふ者なからんこそ痛はし…
- p003…き御身の失はれさせ給はんに、御介錯に侍ふ者なからんこそ痛はしけれ、よし〱數正罷り向つて、冥途の御道しるべ仕らんずる者をとて、只一人駿河の國に趣く、か…
- p003…殿が二人の子共、返し參らせんと望む、氏眞大に悅て頓て若君をぞ返されける、數正肩に乘せ參らせ岡崎に歸り參りしを、御家人等は言ふに及ばず、國中の貴賤御迎…
- p003…、國中の貴賤御迎に參り集うて、感せぬ者こそなかりけれ、三方原の合戰の時、數正織田殿の加勢として近江の國に向ふ、武田入道遠江の國に向ふと聞て取て返す、…
- p003…濃の守護土岐が國に在りといふ淺岡の何某は、弓矢取てさる古兵と聞えしかば、數正彼が許に行き向て、此度本國に歸り候はゞ定て討死仕るべし、數正小兵には候へ…
- p003…聞えしかば、數正彼が許に行き向て、此度本國に歸り候はゞ定て討死仕るべし、數正小兵には候へども弓ひき矢放さんやうは、かたの如く習て候ひき、然るに田舍に…
- p003…に織田殿の加勢乞ひ給ふ、信長父子武田が勢に恐て、向ひ給ふべしとも聞えず、數正御使承て行き向ひ、彼の父子迎へ參らせて已れ又味方の先駈して敵の陣を打破る…
- p003…將承り、向ふ所破らずといふ事なく、一度も不覺の名を取らず、天正十一年五月數正御使を承て、羽柴筑前守秀吉の許に行き向ひ、彼の大坂の城に移りし事を賀せら…
- p003…と戰はせ給ふ事凡十餘箇度、秀吉の軍遂に一度も勝つ事を得ず、此年六月十八日數正前田の城を攻め落す、同十一月秀吉信雄と中直りす、數正又御使承り秀吉の許に…
- p003…得ず、此年六月十八日數正前田の城を攻め落す、同十一月秀吉信雄と中直りす、數正又御使承り秀吉の許に參る、これ兩家中平きしを賀せらるゝ爲とぞ聞えたる、同…
- p003…月秀吉北畠殿によつて、於義丸殿結城殿の御事乞ひ受けて養君とせらる、數正が二男勝千代丸、御供にぞ侍ひける、此後秀吉内大臣正二位に歷昇り關白職に任…
- p003…殿に見參の事申されしかど御承引の御氣色もなし、さる程に養君を初め參らせ、數正が男も失はるべしなどゝ聞えてけり、十三年十月三日數正妻子引具し、信濃の小…
- p003…に養君を初め參らせ、數正が男も失はるべしなどゝ聞えてけり、十三年十月三日數正妻子引具し、信濃の小笠原が人質盜み出し、岡崎の城を去て都に上る、關白大に…
- p004…又敗れぬと思ひ、味方は又勝軍しつと見ば、一定勝軍し給ひなんと覺ゆといふ、伯耆守數正一人この議に同ぜず、人々これを怪みて軍を出さず、後に思ひ合はするに、此程…
- p004…て軍を出さず、後に思ひ合はするに、此程より秀吉に心を通はせしと見えき、又數正が累代の君に背きて上方に參りし事、初め御使承りて度々秀吉に參りしに、彼が…
- p005…なさる、其後德川殿關白家に親しうならせ給ひし時、關白の歎き給ふに因つて、數正再び德川殿に見參す、十八年相摸の北條滅びしのち、信濃の小笠原罪蒙りて彼の…
- p005…見參す、十八年相摸の北條滅びしのち、信濃の小笠原罪蒙りて彼の松本の城をば出雲守數正にぞ賜ひける、十万石數正多くの男子あり、玄蕃允康長は嫡子なり二男肥…
- p005…信濃の小笠原罪蒙りて彼の松本の城をば出雲守數正にぞ賜ひける、十万石數正多くの男子あり、玄蕃允康長は嫡子なり二男肥後守某三男内記某四男主膳定政と…
- p005…あり、玄蕃允康長は嫡子なり二男肥後守某三男内記某四男主膳定政とぞ申ける、數正卒して後、玄蕃允康長家を繼ぐ八万石肥後守に父が所領を分ち給ふ、二…
- p008…りて討死せしなり、按ずるに石川が家、忠を盡し功を顯せし事、代々に絕えず、數正が身に至ても勇材武略の逞しきのみにあらず、德川殿の御爲に身を顧みず命を輕…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히