常山紀談本文データベース

目次 › 卷之十六 › e363

○前田慶次が事

卷之十六 第5話 · 段落 9 · NDL 1078984 261コマ R

人物地名家(氏)官職日付索引へ

利大は文學を嗜み樣々藝にも達せり。滑稽にして世を玩び、人を輕んじける故、利家敎訓せらるゝ事度々に及べり。利大大息吐いて、假令萬戶侯たりとも、心に任せぬ事有れば匹夫に同じ。出奔せん、と獨言せしが、或時利家に茶奉るべき由言ひしかば、悅びて慶次が許に來られしに、慶次水風呂に水を十分に湛へて隱し置き、湯風呂の候。入給はんや、と橫山山城守長知イ家をもて言へば、利家、よかりなん、とて浴所に至る。慶次自ら湯を試みて、よく候、と言へば、利家何の心も無く風呂にゆかれしに寒水を湛へたり。利家、馬鹿者に欺れしよ。引來れ、と言はれしに、慶次、松風といふ逸物の馬を裏門に引立てさせて置きたりしに打乘り、出奔しけるとぞ。又京にて夏の比馬を川入に遣りけり。馬取の腰に烏帽子を附けさせたり。道にて往來の人立止り、太く逞しき馬なれば、誰の馬にて候、と問ふ。則烏帽子を著足拍子を蹈みて、此鹿毛と申すは赤いちよつかい皮袴、茨がくれ鐵甲鷄のとつさか立烏帽子、前田慶次が馬にて候、と幸若の舞を謠ひて引き通る。見る人の問ひし度每に斯くしけるとなり。
朱柄の鎗を持たせしかば、何故ぞ、と咎むるに、父祖より持ち來りし、といふ。水野藤兵衞、韮塚理右衞門、宇佐美彌五右衞門、藤田森右衞門、年久しく朱柄の鎗持せん事を望み申せども許されず。然るに慶次を制禁無くば、四人共に許され候へ、と訟へて許されけり。直江山形に攻入り引返す時、最上義光大軍にて追駈け、洲川にて軍有りしに、義光旗本を引いて切つて懸り、合戰數刻に及びけるに、上杉勢引取り兼しかば直江怒つて、我大將として此口に向ひ、後を取る事口惜きよ、とて悶え怒りけるに、慶次馬の前に立塞り、爰は我に任せられ候へ、と言ひ捨てて、敵味方睨合ひたる處に馬を乘りかけたり。杉原常陸は先陣に有りて種ヶ島の鐵炮を下知しけるが、慶次に下立ちて懸られよ、といへば、馬より飛下りたり。慶次其日の出たちは、黑き物具に猩々緋の羽織を著、金のいら高の珠數の房に金の瓢簞附けたるを襟に懸け、山伏頭巾にて十文字の鎗を持ち、黑の馬に金の山伏頭巾冠らせ唐鍬懸けたり。前田慶次、と名乘りて懸りける處に、水野、韮塚、宇佐美、藤田四人も同じく鎗を引提げ、喚叫んで念無く敵を突退けたるに、杉原種ヶ島鐵炮二百挺、小高き所へ押上打たせし故物別せしかば、慶次下知して引取りけり。
慶次指物練に大ふへん者と書きたりしに、人々、あまりの事よ、と言へば、慶次、汝達は武邊とよみたるや。我落ぶれて貧しければ、大不辨者といふ事なり、と戲れしとかや。
上杉家祿知削られし後、士多く暇を取りて立去りけるに、慶次を七八千石、一萬石を以て招く大名あり。慶次、我此度の亂に諸大名表裡の心見限りたり。景勝ならで我主君とすべき人なし。扶持し置きて賜はれ、とて五百石の祿にて民間に引込み、風月を樂み歌學に心を寄せ、源氏物語を講じて世を終れり。