上泉主水憲元は甲斐の武田の家にて、劍術の上手上泉伊勢が弟なり。譽有りし者なるが、京の相國寺の內に落ぶれ身を寄せ居しを、秀吉の時直江景勝の供して京に至りしが、傳へ聞きて對面し、樣々上泉をもてなし、會津は遠國なれども景勝三千石の祿進らせんとなり、と言へば、上泉、斯る身に思ひも寄らぬ詞を承る、とて仕へけり。直江出羽に押入る時、上泉も三千五百の將たり。最上方には、上の山より幡屋まで二十四ヶ所に出城を設けたるに、直江は眞直に山形に進んで攻め取らんと謀りける所に、幡屋より春日右衞門に親有る者の返忠せん事を言ひ送る。直江悅んで山形に進む兵を押止め、山路にかゝり幡屋に寄せんとす。軍奉行杉原常陸、春日右衞門が一陣を以て幡屋に進め、惣軍は山形に攻入りて然るべからん。敵我に利を與へ嶮岨にそびき入れ、其隙に山形の要害を能せん謀なり、と言へ共、直江元より杉原と中よからざれば、我は唯易きに就かん、とて聞入れず。軈て幡屋を取圍み、一時攻に乘破りけり。
○出羽國長谷堂合戰上泉主水討死の事
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夫より出城を只一日の中に二十一ヶ所攻落し、さらば山形に押寄せん、といふ。上泉が曰く、山形は勝れて要害能く、西南は沼なり。東北は石壁高く、柵の木七重有り。矢倉二十餘所に構へ、且義光は先祖より數百年此地に有り。士卒に物慣れたる者多し。力攻には思ひも寄らず。所々の小城數多攻取りたるにて勇氣を示し、軍を返されん事然るべし、と申す。直江嘲笑ひ、軍を出せしは山形を攻めん爲なり。今更山形の要害能ければとて、引退くやうやある。汝は淺黃じなひの差物指して、利根川二本木の先陣せられしによりて、關東にて夫を憚りて、淺黃じなひを指す者なしと聞きたりしにも覺えぬ事をいふ、と罵りければ、上泉、口惜しき事なりと思ひけり。直江は進んで菅澤山に陣したり。此處も長谷堂より十九町なり。義光も二萬餘の兵を率ゐ山形を出で、長谷堂の山の尾崎稻荷山に陣す。長谷堂には山形の加勢も來り要害よければ、容易く攻め難し。討つて出でての軍は危し、と制しけるに、大風右衞門二百許にて切つて出で、上泉が陣へ向ふ。上泉大勢にて押包み、剩さじと戰ひけるが、大風僅に打ちなされ、切脫けて城に入りぬ。伊達政宗も軍を出し、先陣長谷堂の城下に押來り陣を取りたり。直江は、大風を討得ざる事殘り多し。此城を唯一時に打破れ、と下知し、城際に攻寄せたり。直江高き所に打上り、石火矢を透間も無く打懸けたるに、只千雷の落懸るが如し。志村伊豆、鮭延越前、此處を專途と追出し追込まれ、相戰うて其日も戰ひ暮しけり。直江又三千餘を城の後の山に上らせ、鐵炮を打懸くれば、城よりも切つて出で死傷數を知らず。直江軍兵を分ち四方を燒働す。所々に軍あり。長谷堂の城下に大なる池谷に堰をして、水を堰き湛へたると覺しければ、物見の兵を遣し。又一陣を以て燒働す。城中よりひた冑八百許切つて出でしかば、直江使を以て、引取れ、と下知すれども、睨み合ひて引退かず。使も行止まりて歸らざれば、次第に軍兵行重り鐵炮を打合ひければ、直江、杉原に疾く軍を引上げられよ、と云ふ。上泉、我こそ行かめ、と言へば、杉原、進むは年若き人の業、引揚るは老年の我に協ひたり、とて同心せざるに、上泉、存ずる子細の候、と言ひも敢ず馬を乘出しければ、組に附けられし大高七左衞門、馬を乘附け上泉を引止め、士大將の只一騎にて駈出るやうやある。有るべくもなし、と言へ共耳にも聞入れざれば、大高も續いたり。前田慶次、宇佐美民部、上泉が陣に行き、一陣の大將敵に乘入るを、他處に控へたるは士の本意に非ず。いざ懸られよ、と言へ共進む氣色の見えざれば、前田を始め二十騎許駈向ふ。上泉、大高は馬より下立ち、面も振らず鎗を打入れ突合ひたるが、念なう敵を突退け引取らんとする所に、政宗の兵三百許橫合より切つて懸りければ、上泉兼て直江が詞を怒りたりし故に、一足も引くまじと思定めたれば、又合戰を始め、火出づる許に戰ひけるが、敵味方討たるゝ者多し。前田、宇佐美を始め大剛の者共數度切つて懸りしかば、政宗の兵三十餘人討たれたり。斯る處に政宗の士大將石川彌兵衞、崩るゝ味方を盛返し又打つて懸る。前田已下立堪へ、懸りつ返しつ散々に戰ひけり。直江、日も暮かゝり進み難し。疾く引きとれ、と下知しければ、上泉、心得候、と言ひ捨てて敵に向ひ、上泉主水といふ剛の者打取候へ、と名乘かけ、死狂に數十人切伏せ、終に其處にて討死しけるを、首をば金原加兵衞取つたりけり。上泉三十四歲とかや。上泉主水と冑の眞向に琮嵌にぞしたりける。是より上杉勢亂れ立ちて敗北すれば、義光、政宗勝に乘り、剩すな、と追つつむる。芋川縫殿、村上國淸四千許、橫合より懸らんと陣を整へ控へたるを見て、蹈み止りければ、又取つて返し追立てて、夫より物別す。石坂與五郞、蓼沼日向、前田慶次、宇佐美父子、物具に立所の箭各七つ八つ折かけ、鎗は突きゆがめ、刀は刃さゝらの如く斬りなし、人馬共殷に染みたるが、上泉が組の控へたる前を乘通るとて、各大將主水を捨殺し、男子の交はなるべからず。大高七左衞門のみ士なり、と罵りて打過ぐるに、答ふる人無かりけり。