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山陽道
본문 표기 山陽・山陽道
本多 第四上 · 1
- p006…孝、後に美濃の屋形三七殿軍勢付けて遣はしぬ、信長また中將と共に山陰山陽を從へんが爲に、近日に首途し、諸國の軍勢集らん程は、都にさむらはん、德川…
內藤 第四中 · 1
- p005…めらる、元和五年、大坂の城、修せられて後、信政に仰て、此所を守らせ、畿內山陽山陰南海西海數十州の鎭となされたり、是大坂の御城代始、寛永三年行年…
阿部 第五 · 1
- p002…、そも〱大坂の城は、五畿の內にありて、近くは王城を鎭護し、遠くは南海西海山陽山陰の要路に當りて、數十州の鎭たり、汝は當家累代の舊臣にして、慶長元和の…
北條 第六 · 1
- p003…餘年、豐臣の關白、天下の事しろしめすに及ひて畿内の地は云ふに及ばず、山陰山陽南海西海悉くに靡き從ひ、北陸道も越後より西は皆從ふ、東海道に取つても、既…
池田 第七上 · 1
- p003…に及びて、同じ六月二日、信長信忠、明智がために討れ給ふ、羽柴筑前守秀吉、山陽道より馳上りて、尼が崎にいたる、…
黑田 第七上 · 1
- p001…と限なく、此城に移り住む、孝高宍粟の郡を賜りて、山崎の城にあり、秀吉山陰山陽の合戰を始として、志津が岳、小牧、筑紫の軍に至るまで、孝高の戰功、數を知…
細川 第七下 · 1
- p007…の夏、織田殿明智光秀が爲めに討れ給ふ、初より藤孝は丹後にあり、忠興この時山陽に向はんとて、本國にぞ歸りたる、明智は忠興が舅なりければ、やがて丹後に使…
嶋津 第八上 · 3
上杉 第八下 · 1
- p019…殿、奧に向はせ給ひしに、石田治部少輔三成が計ひにて、秀賴の御催促として、山陽山陰南海西海の軍勢、大坂に馳せ集り、德川殿失ひまるらせんとす、德川殿御父…
金森 第九上 · 1
- p001…森に、一つを原に給ひし也是よりこのかた、北陸の軍は云ふに及はず、畿內山陽の戰に隨はずと云ふ事なく、同十年二月、三位中將殿、甲斐國に攻入り給ひし時…
龜井 第九下 · 1
- p001…、其身は雲州富田の庄に在りながら、あたりの國々七箇國まで打隨へ、威を山陰山陽の地を震ひしに及ては、彼等又自ら彼家の被官とこそはなりてけれ、伊豫守經久…
伊東 第九下 · 1
- p012…殿御父子、明智日向守光秀が爲に討れ給ひ、豐臣太閤未だ筑前守と申て、當時は山陽道におはせしが、急き軍勢を率ゐて、都に上り、山崎の邊にて、光秀と戰ひ給ひし…
中川 第九下 · 2
毛利 第九下 · 1
- p001…れ、凡六万石を領す、當時豐後七人衆と云ひし其內なりき慶長五年の秋、山陰山陽南海西海の大名等、石田三成に與みして、德川殿失ひ參らせんとす、西海に取て…
秋月 第十上 · 1
- p009…を先として、大友が勢を打破る、關白此由を聞召し、明る十五年の春、畿內山陰山陽南海の軍勢三十万騎を引具して、筑紫の地に向ひ給ふと聞ゆ、種實先づ豐前國岩…
金吾 第十二上 · 1
- p001…し給ふ、吾が齡既に傾きぬ此恩に報い奉らん日なし、秀秋に國讓り參らせ隆景は山陽の內にして老い養ふべき程の地賜て、籠り居てさふらはんには、何事の幸か是に…
福嶋 第十二上 · 1
- p007…も上方の大名の中に內々此由を勸め申す人ありと聞えき、此程より西海南海山陰山陽の大名等、城を高うし池を深うして、戰艦夥しう作り出す、世の中何となく騷し…
高橋 第十二下 · 1
- p001…にこそあたりけれ、同き十二年五月多ゝ良濱の合戰、毛利が軍勢大友に負けて、山陽道に引き返すと聞えしかば、此程毛利に與みせし豐前筑前の國人等、皆兜を脫き弓…
坂崎 第十二下 · 1
- p001…と云ふ浮田の記に見えざれば略しぬ當國の守護浦上美作守紀則宗が被官として山陽道に名を顯はす、能家が子興家三人の男子あり、嫡男直家これ中納言秀家の父なり…
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