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豊後国
본문 표기 豐後の國・豐後・豐後國・豊後國・豊後
越前 第一 · 1
- p003…にせめ戰て、盡くに打取ぬ、其後三位中將殿の時に永見が家亡すべからずとて、豐後にて生れ給ひし御弟二人ながら、永見と名のらせ、彼家を繼せらる、此外にもか…
本多 第四上 · 1
- p001…少輔藤原忠勝は、九條右大臣師輔公十二代の孫、藤原助秀が後胤なり、助秀初て豐後國に下り、本多といふ所に住みしかば、本多とは名のりてけり、助秀が男右馬助助…
本多 第四上 · 1
- p001…豐後守藤原康重は、故豐後守廣孝の子にて、九條右大臣師輔公十三代の孫、豐後國の住人本多右馬助助定が後胤なり助定より先は中務少輔忠勝が傳に見えたり…
小笠原 第六 · 2
細川 第七下 · 1
- p011…き兵をば引すぐり、忠興具して奧へ下る、おとなしき者共に、兵をば少し附て、豐後の國へ下して、杵築の城を守らす、丹後には藤孝入道に年老たると、幼けなき者共と…
加藤 第七下 · 1
- p001…曾我部土佐守元親仙石權兵衛尉秀久脇坂中務少輔安治等と、豐後の國に押渡り、大友が軍勢を引具し、嶋津中務大輔家久と戰ふ、長曾我部仙石等を先…
毛利 第八上 · 1
- p004…備前の國をも攻めしかば、宇喜多直家降參す、嫡男隆元を、周防の國に留めて、豐後の大友を守らせ、我身は二男元春三男隆景を打連れ、出雲國に向ひ、尼子と戰ふ…
嶋津 第八上 · 8
- p002…國々の守護職をば停められぬ、又安貞元年の記に、豐後守と記したれば、後には豐後の守護となれると見えき、系圖を按ずるに、忠久が嫡男三郞兵衞尉忠義大隅守と…
- p003…童名虎壽丸と云ひし時、勝久と不快の事起り、勝久遂に貴久が爲に國を出され、豐後の國に落行く、貴久やがて當國の守護となる、其嫡男修理大夫義久、二男兵庫頭義弘…
- p003…前肥後豐前の國に至るまで、悉く打從へ、大友左衞門督義鎭入道宗麟を滅して、豐後の國をも併せんとす、豐臣關白天下を知召しゝ初、前の日向國の守護伊東三位入道の…
- p003…如何で秀吉の下知として、故なく彼等にさけ渡すべきとて、既に軍勢を催して、豐後の國に攻め入らんとす、此年の冬、關白の御使として、仙石權兵衞尉秀久、長曾我部…
- p003…まづ鎭西に押渡つて、彼が押領せし國々攻め取らるべき爲とぞ聞えける、仙石、豐後の國に着きて、まづ嶋津が許に使たつて、早く御下知に任せ、押領せし國々をさけ渡…
- p003…搦め取つて、禁獄し、舍弟中務大輔家久を、大將として、其勢二萬を引わけて、豐後國に攻め入る、十二月十三日、仙石長曾我部、大友が勢を引具し家久と戰ひ、手合…
- p003…の春、都を立つて、先陣既に長門國赤間が關に着くと聞えしかば、義久が軍勢、豐後の國を去て、日向の國にて防き戰はんとす、又關白の御使として、興山上人、一色の…
- p003…分けて、大和大納言秀長、山陰山陽等の勢を引率し、伊東祐兵を案内とし、豐前豐後を經て、日向の國に向ひ、關白、畿內畿外南海北陸等の勢を帥る、筑前筑後を經…
立花 第八下 · 4
- p001…將賴朝卿の御子、母は大友四郞大夫經家が娘なり、能直鎭西の奉行として、初て豐後國に下向す、其子利根二郞親秀、大炊助に任ず、親秀四代の孫左近將監貞宗、二人…
- p001…、筑前國に在て立花と名乘り、大友が被官となる、氏泰が流は、本國に住して、豐後の大友とは申けり、貞載建武四年正月十一日、楊梅東洞院の戰に、結城判官親光…
- p003…今歲の七月、統虎が實父紹運も、島津が爲に討れ死すと云ふ嶋津が多勢、豐後國に發向して、我が城の邊り近く打過く、統虎城より打て出で戰ひ、首餘多斬て引…
- p006…晟に五千石を分つと云主膳正源種次は、故主膳正直次が嫡男なり、直次實は豐後の大友が家人高橋主膳正鎭種入道紹運が男とぞ聞えける初め高橋彌七郞統增と…
仙石 第九上 · 2
伊東 第九下 · 4
- p010…大輔祐兵、戰に及ばずして、一族郞等引具して、帆北と云ふ所より、山傳へし、豐後國に落行き、由緣に付て、大友を賴みて、本國に歸らんことを謀る、明れば天正六…
- p010…利を失ひ、散々になつて引返す、伊東も今は賴む方なくして、明る七年の四月、豐後の國を去て伊豫の國に渡り、此處に三年の春秋を送りてけり、…
- p011…大友記に記する處、詳なるに似たり、曰く、天正四年十二月廿八日、三位入道、豐後の國に落來て、大友が双なききりもの田原近江入道紹忍に就て、宗麟を賴む、頓て國…
- p011…ひ廻りけりと讀みて、三位が家の門に書き付てければ、口惜き事に思ひて、密に豐後を忍ひ出て、伊豫の國へ渡り、夫より又周防の國に渡て、山口と云ふ所に、居住…
中川 第九下 · 1
- p006…木の城賜て、秀政が世嗣となさる、此年五月、大友左兵衞督義統、罪を蒙りて、豐後の地、闕國と成りしかば、御家人等に分ち賜ふ、竹田の城をば秀成に賜て移りに…
有馬 第九下 · 1
- p003…子太郞義純、二代共に公方の御諱字賜りし由、系圖に見天正の初、有馬、豐後の大友に志を通し、義鎭が時同國千葉胤連を討て、小城の郡を并せんとす…
脇坂 第十上 · 1
- p001…長曾我部、土佐守元親仙石權兵衞秀久加藤左馬助嘉明等と、豐後國に押渡り、大友が兵と共に嶋津が勢と戰ふ、味方散々に討ちなされて引き退く、…
秋月 第十上 · 3
久留嶋 第十上 · 1
- p007…明る慶長六年二月、豐後國日田玖珠速見三郡の地にて所領賜ひ、森と云ふ所に移る、其子丹波守通春、幼く…
本多 第十一 · 1
- p001…佐渡守藤原正信は、豐後國の住人本多助秀が後胤なり、助秀が男助定、尊氏將軍に仕へて、尾張國橫根粟飯…
竹中 第十二下 · 1
- p005…世に傅ふる所は、元和九年越前の一伯殿、豐後の國へ流され給ひ、當國府內の城領せし竹中釆女正重次預り人となつて、五千石を加…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히