○備前國龍口落城の事附浮田直家の事竝岡剛助高名
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直家は和泉能家の孫なり。能家は元浦上掃部助村宗に仕へ、備前邑久郡砥石の城に居れり。浦上の長臣島村豐後守、後入道して貫阿彌と言ひしは、鷹取山の城に有りて威勢ありて能家を殺害せり。之れ享祿四年の事なり。浦上細川高國の加勢として攝州にて討死す。其の子與次郞といひしは幼少にて、居城三石は播州の境敵に近き故、和氣郡天神山に移れり。與次郞は浦上遠江守宗景といへり。年長じて備前皆從ひ、美作も半ば屬せり。宇喜多能家の子を興家といふ。父死する時出奔し、甚だ愚かにて備中邊にさまよひ、乞食の體なりしが備前に歸り、西大寺福岡の側に有りけるを、父に懇なりける阿邊定善といふ者養ひ置き、愚なれば牛飼童とせり。年經て召使ふ下女を配せて子三人あり。直家忠家春家是なり。天文五年興家死す。三子の中直家八歲なるが定善が方にあり。弟二人六つと四つになりけるを、笠加の尼寺に、直家の母の姉比丘尼となり居たるに賴み置けり。直家物靜なる牛得1なりしが、十一歲の比より俄に愚昧になりて、誠に菽麥をも辨へず。天文十五年直家十五歲に成りぬ。母の方に往けば母淚を流し、三人中にも兄なればせめて人並にもあれかしと思ひしに、すぐれたる愚さよ。人並ならば殿に申して草履をも取らせなん物を、如何なる因果にて、斯く憂きことを見るやらん、と打萎れたるを、直家見て側近く居より、實に愚なるには候はず、といふ。母聞きて、汝ほど愚ながらも猶賢しと思ふや、といよ〱歎く體なり。直家、此處に一の大事あり。誰にも語らせ給ふな。若し洩し給ふ程ならば、其の事の叶ひ候まじ、と言へば、母其は如何なる事ぞ、と問ふ。直家、よく聞き給へ。祖父泉州をば島村が殺したりき。父仇を得討給はで口惜くこそ候へ。如何にもして一度祖父の弔を遂げんと存ずるに、島村を殺すに過ぎたる事や候。我れ若し賢きと島村聞きなば、其儘に助け置くべきや。只是のみ心を苦め謀を廻らし、祖父の恥を雪がばやと存ずるなり。早や十五に成り候ひぬ。殿宗景をさすに奉公仕らんやうを計らはせ給へ。假初にも此一大事口に出ださせ給ふな、と言ひたりしかば、母驚き且悅びて、密に宗景に告げて、直家初て仕へけり。直家斯る智謀有りし故、宗景寵愛し、乙子の城を預けたり。此の時三郞右衞門とぞ言ひける。此の比中山備中は沼の城に在りしが、宗景の心に反く事あり、宗景直家に密談す。直家、某は中山が女を妻とし、婚姻の好み深き者なるに、斯る仰を承る事不忠を存ずまじきと知召されしならん。力の限謀り見ばや。只一つの願の候。其を許し給はらんや、と申す。宗景悅びて、何事にもあれ望むべき事、其志に任せん物を、と言へば、祖父忠功の者にて候ひしに、島村私に殺したりき。君を輕むる者なれば、願ひ望まずとも必ず誅せらるべき者なり。祖父の仇に候へば、許を蒙りて殺し申さん、と告げければ、宗景聞きて、島村汝が祖父を殺せし時、予幼かりし故に、島村權威を恣にしたりき。今我も憎み思ふ處なり。謀よくして島村中山二人を討つべし、と許したりしかば、直家、沼の城川の東に茶園畑といふ所あり、爰に茶店を設け、鷹狩に出で、日暮れば此所に入りて臥し、又沼の城に往きて、いと打解けたる親みをなせり。或る時直家中山に、此の川隔りて南の方に廻れば道遠し。茶園畑より直に川を渡らん爲に假橋を架けさせられよ。常は取置きて往來の時のみ架けなん物を、と言へば、備中易き程の事とて然したりき。直家謀り得たりと悅びて、宗景に告げて、沼より天神山の間に狼烟を擧ぐべし。然らば備中を討ち得たりと知られよ。狼烟擧げなば、島村が許へ使を馳せ、中山謀叛したる故、直家に下知して討せぬ。疾く沼に駈け向ひて、直家に力を合せよと下知あらば、島村年老たれども、遠く慮るに遑なくて、一騎駈けに沼の城に來るべきを討たん事易かるべし、と日を約しぬ。斯くて其の日に及びて沼の鷹狩塲に直家有りて、日暮に成りて城に入り、獲り得たる鳥を出し酒宴に及べり。夜も甚く深けぬ。備中も醉たり。直家、我今夜は爰に臥すべし、と言へば、備中が士も座を退出でぬ。直家打臥す體にもてなし、思ひもかけぬ不意に備中を只一刀に伐殺し、躍り出て大音聲を擧ぐれば、兼て相圖しける者ども、城下に忍びて待かけたれば、我先にと城內に馳せ入りしかば、城中何事ぞと驚きあへり。川向に伏したる兵も閧を作り、彼の設けたる假橋を渡りて攻入り、狼狽へたる中山が士共を切り伏〱城を攻め取りけり。斯くて狼烟を擧げしかば、宗景卽島村が許に使を馳せて告げ遣りしかば、島村聞きて、續け者共とて馬に鞍置かせ打乘り、從兵七八人許にて沼の城に來る。城は疾く乘取りたれば、直家本丸に在りて門を閉ぢたり。島村斯る謀有りとも知らず本丸に入る處を、兼て計り合せたれば、取圍みて討取りたり。島村が軍兵一騎駈に疎に成りて來るを、道に待ち受けて討取り、軈て兵を出して鷹取山へ押し寄すれば、防ぐ者無くて退き、散々に成りぬ。直家の手段にて二人を殺し、之より勢强く沼の城に居りて、砥石には弟の春家を置き、終に浦上を滅して備前を悉く平均せり。
- 誤植牛得 — 底本「牛得」。振り仮名「うまれつき」から「生得」の誤植か。
沼の城に居て元常と姻類なりしに、元常毛利家に談はれて直家に背く。直家討滅さんと思へども、龍の口は峯高く大川麓に繞り、要害よかりければ力攻にして落すべきやうもなく、矢津に砦を構へ、軍兵を籠め置きたり。直家岡鄕介と言ふ謀ある者に、密に手段を言ひ合せ、或時、直家、鄕介は云々の罪有り、搦來れ。首を刎ん、と言はれしかば、討手の士行向ふに疾く出奔してけり。直家僞りて怒る事大方ならず。鄕介は備中に匿れ居たりけるが、西郡の中にて、乞食の老女の道に伏し居たるに立寄り、こは抑不思議にも恙なく御座けるよ。年比心を盡し尋ね進らせしに、行會ひぬるこそ嬉しけれ。然ど淺ましの有樣や、さぞ見忘れ給ひしならん。幼き時立別れ懷しの母上よ、とて連れ歸りぬ。乞食の女は怪しき事に思へ共、俄に豐なる躬に成りければ、知らぬ體にてぞ有りける。稍有りて鄕介龍の口山の川向ひ、金山寺、山の谷山、船山の城主須須木豐前が許に仕へ、尋ね出せる乞食の老女を己が母と名附けて人質に出しけり。須々木は故有つて元常と不和なり。或時須々木が東國より求め得たる黑の馬を盜み出して打乘り、山下へ馳せ下る。城中より、何とて馬に乘るや、と呼れ共耳にも聞き入れず。枚石川原を東へ駈け行きければ、須々木も矢倉に上り、之を見て、憎き奴哉。討止めよ、と下知しけれ共、疾く川を打渡り、龍の口の城に乘上り、船山の須々木が士にて候。故無きに死罪に合ひ申すべき由を人の知らせ候故、遁れ參りて候。あれ見給へ、追手の者共川向に充ちて候。城中に隱され候へ、と言ひければ、元常先づ山下に隱し置きけり。須々木が士共岡に誑れたるとは知らず、彼の乞食の老女を川原に引き出し、歸らずば母を殺すべし、と聲々に呼りけり。岡彼の老女は母にて候。今歸りたり共母子一所に死なん事定りたり。とても棄つべき命を君に奉り、此の憤を散じなん、と言ひける中に、彼の女をば磔にして殺しければ、鄕介悲み怒り、母の仇目前に有り。如何にして此の恨を報ゆべきか、と齒を囓みて歎きければ、元常も心許してけり。岡飽く迄賢々しき者なれば、年月經ざる中に、元常が密謀をも聞くばかりに愛せらる。岡今は時を得たりと直家に、日を定めて矢津の砦の軍兵を龍の口の本丸北の川向に出され、小舟を隱し置かれよ、と告げ遣りて相圖しけり。本丸の北の方に閑所の有りけるに、元常軍評定する所なり。其の夜も元常は此の所の欄干に倚り居たるを、岡つと寄りて引組て下に轉び落つる。兼て思ひ設けたる事なれば、墜着く所にて一刀刺し、其の身も打損じければ、元常が首を取り、隱し置きたる小舟に乘り、遁れ得て直家の許に歸る。元常死して後龍の口の城落たいければ2、直家軍兵を入れ換へて守らせけり。
- 誤植落たいければ — 底本「落たいければ」。「落たりければ」の誤植か。
又一說に、最所元常浮田家に從さりしかば3、直家與太郞基家に長船紀伊守延原土佐守を添へて攻めさせらる。元常城を出で山の麓段の原に陣して、竹田河原にて軍せしに、勇氣當り難く、基家も岡山に引き歸せり。城は險阻に據たり。手易く攻め難し、と直家家臣共と相謀るに、長船紀伊守修理は武略餘りあれど色を好む病あり。天晴一手段して城に入り、謀り討たばや。なれ共才智賢き健者ならでは叶ひ難し、とて切りに岡淸三郞を見やりければ、直家とかく物言はで止みけり。さて程經て直家淸三郞を捕へて押籠置き、老臣共に、淸三郞は不義の振舞あり。首を切れ、と怒られしに、皆、彼幼少より奉公し、今年十六歲に及びて一度も過なし、と諫むれども聞入れず。奧に入りさまに、岡豐前を招き、淸三郞を私に落せよ。淸三郞には我よく謀を言ひ聞せたり、と言ひしかば、豐前斯く計ひたり。其明の日押籠めたる牢を開くれば、淸三郞は見えざりければ驚きたる計なり。豐前は淸三郞を盜み出し、龍の口の向枚石原に、緣の僧の草庵を結びて居たりしに賴みて隱し置きけり。或時修理城下の流に漁獵せしが、尺八の聲聞えたり。人に見せしむるに、淸三郞が有樣を告ぐれば、劍術の師加藤十藏小姓の早川左門彼是六七人、川向に渡りて其の樣を見るに、容貌勝れて美しかりけるが、見る人ありと尺八を納めて、庵の中に入らんとしけるを、止めて問ひけるに、宇喜多家の士岡淸三郞と申す者なるが、無實の罪によりて、已に誅せらるべきを、家老憐みて爰に隱し置きたるにて候。洞簫は直家の猶子基家堪能にて、少し習ひて候ふなり、と申す。其有樣只人ならず覺えければ、元常打具して龍の口に歸りけり。人々敵方の者なり。用心有るべし、と諫めけれども、直家さへ恐るゝに足らず、假令間者たりとも、我又彼に附きて謀をなさん、とて岡山に間者を遣りて、事のやうを聞くに、淸三郞が詞に違はざりければ、元常疑ふ心もなく淸三郞を寵愛し、軍場に怠り、城上の北の樓に醉臥する事度々なり。赤坂郡和田の城主和田伊織之を聞き、龍の口に來りて諫むれども聞き入れず。斯くて炎熱の比北樓の上に酒宴して、日頃好める尺八を代る〲吹きて、淸三郞が膝を枕にして睡りたり。淸三郞好き隙なれば、首取らん事いと易しと思ひけるが、如何樣過ぎつる比より、淺からず寵愛したる人を、空しく討たんは人情に非ず。如何せんと躊躇ひしが、否々仰を奉りて、身を捨てて此の城中に謀り入るからは、時を得て私の情に換んも志に非ずと思ひ返し、元常の脇指を執りて引寄せ、首を打落し、袴を脫ぎて首を包み、九十九折なる道を北の麓に落行きしに、早川左門來りて見るに、元常の尸は朱に染まりたり、大に驚きて、淸三郞こそ殿を斬りたれ、と呼りて追ひ駈けて麓に下りけるが、淸三郞は小舟の有りけるに乘らんとせしに、左門追ひ着たり。淸三郞振返りて切り合ひけるが、早川が眉間を切つて切り伏せたり。城より追々馳せ來りけれ共、はや舟に棹さして向の岸に上りぬ。城兵は上の瀨地藏岩の邊に繫ぎたる小舟に人數多取乘つて、押せども指せども動かず。其の內に淸三郞岡山に易々と遁れ歸りけり。直家は、淸三郞が若年にて事よく遂げん事叶ひ難かるべし、生て還らん事は思ひも寄らず。あはれ由なき謀をしつる物哉、と悔まれけるに、豐前淸三郞を打連れて元常が首を出す。直家大に驚き、且悅び且怪みて、其の功を賞せらるゝ事並々ならず、是より岡剛介といへり。龍口には人々齒を嚙みて怒れども詮方無し。和田の伊織を大將として、逆寄せに岡山に打つてや出でんと言へ共、和田も自らの城を捨てて無謀の軍すべきに非ず。皆呆れたる計なり。直家其の勢を料りて龍口に押寄せたれば、城主を失ひたる者共心々になりて、防戰の術なく多くは落失せければ、元常が賴み切たる山口與市も詮方無く、士卒と共に落んも面目なし、とて三の廓にて腹切りて死しければ、直家火を掛けて燒拂ひけり。和田にも是が爲に士卒力を失ひて落ち散りければ、金川の城の松田が一族と一つにならんとて、和田の城も一時に陷りけり。又上道郡中島落城と龍口落城と一日の事なり。直家龍口より引返す時、中島の城を取り卷かれしに、城主中島大炊無勢にて防ぐ事能はず。榎の大木の洞の有りしに隱れたりしを、探し出して遂に討たれたり。中島が子孫今にあり。又其時の榎今に有りて、囘り三丈許なり。
- 誤植從さりしかば — 底本「從さりしかば」。濁点が欠けたか(「從ざりしかば」)。