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本多忠勝
本文表記 忠勝・本多・中務少輔忠勝・本多中務少輔忠勝・本多平八郞忠勝・中務少輔藤原忠勝・平八郎・本多平八・本多平八郎・本多中務少輔・本多忠勝・本多平八郞・本多中務大輔忠勝・本多中書
酒井 第四上 · 1
- p007…、長僉義に時を移す、忠次大に怒て、互に相論に及び、事ゆくべしとも見えず、本多平八郞忠勝、さらば尾幡に馳向ひ、御先を懸けんとて打て出づ、石川長門守康通も同じく續…
本多 第四上 · 60
- p001…中務少輔藤原忠勝は、九條右大臣師輔公十二代の孫、藤原助秀が後胤なり、助秀初て豐後國に下り…
- p001…元龜三年十二月三方が原の戰に討死す、父子兄弟同じく君の爲に命をおとす、中務少輔忠勝此平八郎忠高が子にて、是も初は平八郎とぞ申ける、永祿七年夏五月、德川殿吉…
- p001…兄弟同じく君の爲に命をおとす、中務少輔忠勝此平八郎忠高が子にて、是も初は平八郎とぞ申ける、永祿七年夏五月、德川殿吉田の城を攻めらる、忠勝生年十七にて先…
- p001…て、是も初は平八郎とぞ申ける、永祿七年夏五月、德川殿吉田の城を攻めらる、忠勝生年十七にて先駈し、始て高名しけり、忠勝一番に牧野宗二郎と鎗を合すといひ…
- p001…五月、德川殿吉田の城を攻めらる、忠勝生年十七にて先駈し、始て高名しけり、忠勝一番に牧野宗二郎と鎗を合すといひ、又は鵜殿石見守と鎗を合せしともいふ、此…
- p001…又は鵜殿石見守と鎗を合せしともいふ、此日蜂屋半之亟手負て死したり、これは忠勝に先をかけられて、けふの軍に鎗取の高名は詮なしとて、太刀打せしがゆゑなり…
- p002…せ玉ひし時に御供し、同五年今川が侍大將小原肥前守、三河國長澤に入りし時、忠勝十五才にて敵の首を取といふ、又同六年牛久保にて、駿河の城所助之進と鎗を合…
- p002…姉川を隔てゝ義景に向はれたり、信長淺井と戰ひて、負軍し玉ふと見えし所に、忠勝先陣に進み、士卒を下知して、眞先かく、御勢先を爭ひて、三萬餘騎の一說に…
- p002…へさん事、信成いかにも叶ふべからず、誰か候、人々下知して引せ玉へといふ、忠勝ことし廿五歲、黑糸の鎧に、鹿角打たる冑をき、蜻蜓切といふ槍を、馬手のわき…
- p003…忠勝が振舞ひ、敵味方の目を驚かす、敵の方より見付の坂に榜を建てゝ、家康に過た…
- p003…敵の方より見付の坂に榜を建てゝ、家康に過たる物は二つあり、からのかしらに本多平八、この謠は、信玄の近習に杉右近助がよみしなり、此程は、戰國の最中なれば、…
- p004…靑貝をすつたり、蜻蜓の飛來て、忽ちに觸れて切れたれば、かくぞ名付しなる、忠勝年老て後、或日桑名の城下、町屋河原に出て、馬に乘りながら、此鎗の石突をと…
- p005…、敵を破り、敗軍の兵を集て、濱松の城に歸るといふ、信州村上が子孫の家に、忠勝の村上源吾國清に送りし狀あり、其詞に、累年輝虎家康に被仰合に、付て、此間…
- p006…天正元年の秋、長篠の城を攻めらる、忠勝等相謀て、遠攻にす、敵怺へずして降りぬ、同三年五月、長篠の合戰に、忠勝軍…
- p006…、忠勝等相謀て、遠攻にす、敵怺へずして降りぬ、同三年五月、長篠の合戰に、忠勝軍奉行を承るなり、創業記考異にいづ、他書に見る所なし、今年六月、高…
- p006…月、高明の城を降し、八月小山の城を攻む、同六年三月駿河國に向ひ玉ひし時、忠勝仰を承て、遠目口を越て、駿府に入る、敵持舟の城より出て、遮らんとするを打…
- p006…城より出て、遮らんとするを打破る、同じき八年六月、高天神の城に向ひ給ふ、忠勝眞先に進み、外城を打破れば、即ち城を圍まれて、明れば九年三月、終に攻おと…
- p006…嫡男、武田四郎を擊るべしと、駿河國を打從へ、甲斐の國に攻入り玉ひし時、忠勝先陳を承る、去程に德川殿今度武田が滅びし事をも賀し、みづから又駿河國をわ…
- p006…に、汝まづ參て、此由を申せとて、四郎次郎をば返へされたり、六月二日の朝、忠勝して、今日御歸洛の旨を織田殿へ告げ申され、頓て堺の浦を出で玉ふ、忠勝馬を…
- p006…朝、忠勝して、今日御歸洛の旨を織田殿へ告げ申され、頓て堺の浦を出で玉ふ、忠勝馬を馳せて上るに、都の方より荷鞍しきたる馬に乘て、追かけ〱來るもの、行合…
- p006…ふと聞く、今は討れたまひぬと存ず、此事を急ぎ申べきために、參り候といふ、忠勝打つれて引返す、飯盛の山のほとりにて、德川殿はやく御覽じ付けられて、汝等…
- p006…大久保新十郎、後に相摸守忠隣、ばかりを召しぐせられ、出向ひ玉ふ、忠勝まづ其由を申す、四郎次郎を近く召して、一々に尋ね究められて、長谷川を召す…
- p006…かき切て、此程の如くに御道しるべをば、冥途迄も仕るべく候と申す、さらば、忠勝御先仕れと仰ければ、四郎次郎男と二人馬をならべて、御先をうつ、御供の人々…
- p006…々には、何事の出來ぬるやらんと、怪み〱行く程に、路のほど廿町斗り行きて、忠勝馬を乘返し、さきの五人の人々を招て、忠勝微弱の身にて、君を强て諫め奉らん…
- p006…く程に、路のほど廿町斗り行きて、忠勝馬を乘返し、さきの五人の人々を招て、忠勝微弱の身にて、君を强て諫め奉らんこと、憚りすくなからずといへども、殿の御…
- p006…に忠次等が不覺たり、返す返すも面目を失ひ訖んぬ、さらば申べきにて候とて、忠勝が申す旨を、盡くに述べたり、德川殿つく〱と聞召し、家康もし國に歸る事を得…
- p006…か、わたらせ玉ふべきと申す、忠次康昌一同に、幸なる事を承る者かな、さらば忠勝が諫め申に御從ひ有て、道すがらの事は、竹丸が計らひに任せらるべう候にとて…
- p007…左衛門尉、石川伯耆守、高力權左衛門、本多藤四郎、石川長門守、高木筑後守、本多平八郎、榊原小平太、大久保新十郎、菅沼藤藏、久野新平、本多百助、阿部善九郎、牧…
- p008…番迄出ぬれは、秀吉樂田を立て、長湫をさして馬を馳す、後陣は猶引もきらず、忠勝この時は小牧の御陣に止り守りしが、此由を聞て、今朝よりの戰に、御方疲れぬ…
- p008…りければ、馬いはなれて飛びあがり〱、敵に向て走る、永井は次いて追て行く、忠勝きつと見て、一鞭あてゝ馬を馳せ、永井を、つと馳せ拔て、敵の中に追こうで終…
- p008…、敵の中に追こうで終に其馬取返し、永井を乘せて歸りけり、秀吉の兵共、憎き本多が今日の振舞ひかな、馳せ寄つて蹴ちらして通り候はんといへば、秀吉かたく制…
- p008…康の御旗は、小幡の方に向て入りぬと答ふ、秀吉力およばず、此所に陣を張る、忠勝物なれたる兵共に、敵の陣の取やう、見て來れとて遣はす、能く見おほせて歸る…
- p008…後、德川殿の御外叔父水野殿を惣兵衛忠重後に和泉守伴ひ、御前に參り、忠勝が手のもの、いまだ軍仕らねば、疲れもせず、忠重の御勢と一ツに成て、今宵龍…
- p008…せ玉ふ、此夜討の事を後に仰られし事、岩淵夜話別集を見るべし、北畠殿忠勝が振舞を感じ玉ふこと斜ならず、御刀をぞ給ひける、此後東西和睦なりて、關白…
- p008…此後東西和睦なりて、關白の御妹、濱松に入玉ふべしとあり、悅び申の御使に、忠勝都にのぼり、關白殿も、此日の事を語り出されて、一人當千の兵とは、忠勝をこ…
- p008…に、忠勝都にのぼり、關白殿も、此日の事を語り出されて、一人當千の兵とは、忠勝をこそいふべけれと感じ、仰下されけり、同十六年叙爵し、同十八年の夏、關白…
- p008…じ、仰下されけり、同十六年叙爵し、同十八年の夏、關白殿北條を伐ち玉ふ時、忠勝上方の軍勢と共に、武藏の岩槻の城に向ひ、大手の大將承て、眞先に攻やぶつて…
- p008…宣ひけるは、北條が國々、既に降りぬといへども、上總下總は大事の所なれば、忠勝して鎭めたべ候とあれば、廳南の城に止つて守る、…
- p009…小田原の陣の時、初め忠勝濱手を守る、秀吉德川殿に宣ふ旨ありしかば、忠勝仰を蒙り、家臣都筑彌左衞門…
- p009…小田原の陣の時、初め忠勝濱手を守る、秀吉德川殿に宣ふ旨ありしかば、忠勝仰を蒙り、家臣都筑彌左衞門をして、玉繩の城に差遣し、北條左衞門大夫が叔父…
- p009…る僧に達して左衞門大夫を說き降さしめ、左衞門大夫、質を參らせ小田原に來り忠勝によりて、德川殿に見參し其後秀吉に見參す、かくて秀吉、淺野木村して關東の…
- p009…秀吉に見參す、かくて秀吉、淺野木村して關東の國々をめぐらしめられたるに、忠勝相共に左衞門大夫に案內させて、五月の初め、小田原を立ち、江戶佐倉土氣東金…
- p009…北條勢とあひて、八王子の城をせめ落して、筑井を取る、又秀吉の命によつて、忠勝は、上總國廳南の城を守り、上總下總兩國を鎭む、…
- p010…北條亡ひて、關白殿東山道に下り玉ひしが、忠勝を下野國宇都宮の御陣に召されて、冑一つ取出して、奧の佐藤忠信が着たりしと…
- p010…出して、奧の佐藤忠信が着たりしとて、此程陸奧國より參らせたる冑なり、當時忠勝ならで、此冑きんずるもの覺えねば、賜らんとて召しけるぞと、賜ひけり、時の…
- p010…覺えねば、賜らんとて召しけるぞと、賜ひけり、時の人、羨しき事に思ひしに、忠勝が嫡子平八郎忠政、後に美濃守、今年十六歲に成けるが、父に向ひ、父御…
- p010…事あらん、とく返させ玉ふべしとぞ怒りける、同年德川殿關東へ御移あり、井伊本多榊原大久保などは、よのつねの御家人に准ずべからずと、關白の仰ありければ、…
- p010…京大夫幸長、追討の御使を承る、殿下德川殿に仰せけるは、幸長年若く侍れば、忠勝をも向はせ玉ふべしとあり、既に打立んとせし所に、凶徒滅ひしかば、軍を出す…
- p010…所に、凶徒滅ひしかば、軍を出すに及はず、慶長五年の秋、東西一時に軍起る、忠勝仰を蒙り、井伊直政と共に、御方の大名、打つれて、美濃國に向ひ軍し、九月十…
- p010…し、九月十五日の合戰に、諸軍を下知して軍させ、我身も嶋津を打破り、此日忠勝が手に、首九十餘を得たりと云ふ軍終て後、福嶋左衞門大夫正則、德川殿の…
- p010…得たりと云ふ軍終て後、福嶋左衞門大夫正則、德川殿の御陣へ參り、扨も今日忠勝が御方の多勢を下知して、戰うたる樣、左右の手をつかふよりも猶たやすう見え…
- p010…よりも猶たやすう見えて候、あつはれ、よき大將軍にて候ものかなと感じ申す、忠勝あさ笑て、敵の無碍に弱うて、戰ふに堪へずこそ候ひつれと、色代せり、明れば…
- p010…をば、五万石二男忠朝に賜ふ、父子共に、去年の勳功の賞とぞ聞えたる、忠勝十七歲の時初て軍し、大小の戰ひ五十七度、終に一度の不覺なし、又終に一所の…
- p011…侍從兼美濃守藤原忠政は、忠勝が嫡男なり、天正十八年夏德川殿の御勢、秀吉の軍勢と打交り、岩槻の城を攻む…
- p011…男なり、天正十八年夏德川殿の御勢、秀吉の軍勢と打交り、岩槻の城を攻む、父忠勝、淺野彈正少弼長政等と追手より向ひ、鳥居彥右衞門元忠、平岩主計頭親吉は搦…
- p011…、互に先を爭て進む、敵さん〱に防き戰へば、御方忽ちに手負ふもの七十餘人、忠勝が兵、事ともせず、眞先に進み戰ふ、敵は怺へず引退く、息をもくれず追詰て、…
- p011…つて、元忠親吉一手になり、一所に馬を立ならべ、手の者、下知して戰はせ、父忠勝が大旗を本城の內に押立たり、妹尾は既にうたれたり、敵力盡て降人となつて出…
- p011…うたれたり、敵力盡て降人となつて出てけり、八王子筑井鉢形等を攻しとき、父忠勝に隨ひて、名をあらはす、慶長三年に叙爵す、關が原の戰には、中納言殿の御供…
- p014…出雲守藤原忠朝は、中務少輔忠勝が二男、生年十九歲にて、父と同じく關が原の合戰に、嶋津が陣に向ひ、自ら首…
- p014…津が陣に向ひ、自ら首二つを切る、德川殿の御感斜ならず、明れば慶長六年春、忠勝桑名の城を賜て、父が領せし大多喜を忠朝に給ふ、五万石是去年の勳賞と…
本多 第四上 · 1
- p001…大臣師輔公十三代の孫、豐後國の住人本多右馬助助定が後胤なり助定より先は中務少輔忠勝が傳に見えたり其後子孫三河國に移り、助定が五代の孫豐後守秀淸が代に及び…
本多 第四上 · 1
- p004…着かせ玉ひし日、御方の軍勢、大坂の兵と、笠縫堤に戰ひし時、康俊井伊侍從、本多中務少輔共に馳向ひ、駿河の勢を引て歸り、御感の仰を蒙れり、關が原の戰には後陣に從…
井伊 第四上 · 2
榊原 第四上 · 6
- p003…とぞ聞えたる、かくて、此程の軍の勞をも、なぐさめんと、侍從直政井伊中務少輔忠勝、本多康政と共に夜一夜、酒呑み遊びしに、直政康政に向うて、さても此…中務少輔の表記(忠勝は中務大輔)
- p003…くて、此程の軍の勞をも、なぐさめんと、侍從直政井伊中務少輔忠勝、本多康政と共に夜一夜、酒呑み遊びしに、直政康政に向うて、さても此度わどのが…
- p003…なる勳にも功にも勝りぬとこそ存ずれといひしかば、康政も心よげに見えしに、忠勝これを聞て、直政の宣ふ所、勿論なり、されど、こゝに忠勝が心得ぬ事一つあり…
- p003…心よげに見えしに、忠勝これを聞て、直政の宣ふ所、勿論なり、されど、こゝに忠勝が心得ぬ事一つあり、康政云ひ開き玉ひなんやといふ、康政笑て、何事にもあれ…
- p003…あり、康政云ひ開き玉ひなんやといふ、康政笑て、何事にもあれ承らんといふ、忠勝わどのが大殿をだに、个程に諫め申しゝ身の、佐渡守正信の後にのみ從ひしこそ…
- p003…ば、康政答ふるに詞なくて、三人一同に打笑ひ、數盃の興をぞ添にける、康政と忠勝とは、同年にて同地に、ひとゝなりしかば、幼きより互ひに、親しかりしゆゑ、…
大久保 第四中 · 1
- p006…家忠日記にも、其餘の傳記にも、井伊本多榊原大久保には、關白殿内々の仰有て、所領の地賜ふとしるす、又按ずるに此人…
石川 第四中 · 2
鳥居 第四中 · 1
- p001…一宮などいふ、一人當千の兵三十三人、同じ枕に戰死す、疵を蒙る者七十餘人、本多忠勝父子、大手の門を攻破り、大手搦手、一手に成て攻めし程に、城兵こらへず、元…
植村 第四中 · 1
- p001…ひ、御家人となされしとこそ聞えたれ、其後高名度々にて、北條の家亡びし時、本多鳥居等の人々と、武藏の國岩槻の城を攻落す、今年關東に移らせ玉ひしかば、上…天正18 岩槻攻略(f028.p001)
山口 第六 · 1
- p001…として、北畠の軍勢も、鞭鐙を合せ援ひ來れば寄手こらへず引かへす、德川殿、本多平八郞に仰せて、重政を召され、此とき御陣は戸田にあり、重政むかし信盛に屬…
淺野 第七上 · 1
- p001…べしと仰下さる、長政大に悅びぬ、又德川殿に向ひ給ひ、幸長いまだ年わかし、本多中務少輔忠勝を副て給ふべしと仰せらる、やがて彼の逆徒、國人等討てまゐらす、軍をば出…
堀 第七上 · 4
- p003…寄越後を追ひ出されし由を記せり、一說には、直寄坂戸より伊勢の桑名に來り、本多中務大輔忠勝に、此由を告ぐ、越後守忠俊が妻は忠勝の孫女なるが故に、忠勝に告ぐ、忠勝大…
- p003…戸より伊勢の桑名に來り、本多中務大輔忠勝に、此由を告ぐ、越後守忠俊が妻は忠勝の孫女なるが故に、忠勝に告ぐ、忠勝大に驚て、駿河に來りて、此由を申せしと…
- p003…、本多中務大輔忠勝に、此由を告ぐ、越後守忠俊が妻は忠勝の孫女なるが故に、忠勝に告ぐ、忠勝大に驚て、駿河に來りて、此由を申せしともいふ、何れか實なる、…
- p003…輔忠勝に、此由を告ぐ、越後守忠俊が妻は忠勝の孫女なるが故に、忠勝に告ぐ、忠勝大に驚て、駿河に來りて、此由を申せしともいふ、何れか實なる、…
伊達 第七下 · 1
- p010…、かた手矢はげ槍長刀打物の鞘はづして、左右に立ち分る、德川殿の御内には、本多中務少輔忠勝を初め、宗徒の人々打出て、固く制す、加賀の陣よりは、然るべき侍の出て制す…
加藤 第七下 · 2
立花 第八下 · 1
- p003…し申させ給ひしかば、從四位下して侍從にこそはなされけれ、關白殿常に東國に本多平八郞忠勝あり、鎭西に立花左近將監宗茂あり、天下一双の勇士なりと感し仰せられしとな…
稻葉 第十上 · 1
- p004…の城を守りしが、德川殿に心を通し、東國の先陣、尾張の國に至ると聞て、井伊本多が許に使立て、貞通御方に參るべき由を申す、斯る所に八月廿日東國の先陣岐…
薩摩守殿 第十一 · 3
松平(大須賀) 第十一 · 1
- p001…き戰を合はせざれは、味方進みて勝負を决するに及はず、初め天正元年康高榊原本多の人々と同しく、當國森の邊りにて武田信綱入道が勢を打ち破りしより、同き十…
北條 第十一 · 1
- p003…覺えずとて御使をば返してけり、御使三度に及びし後、四月廿一日甘繩の城をば本多榊原井伊の人々に下げ渡して德川殿の御陣にぞ參りたる、北條程なく亡びし後、…
福嶋 第十二上 · 2
關 第十二下 · 1
- p003…力なく大坂の催促に隨ひ、當國の人々と尾張犬山の城に籠り、大久保相摸守忠隣本多中務少輔忠勝が許に使立てゝ、御勢攻め上らんを待て、御方に馳せ加るべきの由を東國に申す…
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