人物索引 › 武田晴信
武田晴信
本文表記 信玄・武田・武田入道・武田入道信玄・入道・武田大膳大夫入道信玄・晴信入道・晴信・信玄入道・武田大膳大夫晴信・武田信玄・武田信玄入道・大膳大夫入道信玄・大膳大夫晴信・大膳入道・武田入道晴信・故入道・武田大膳入道
保科 第一 · 1
- p001…の住人、保科筑前守正則、初彈正忠父は伊那郡の住人彈正忠正俊、甲斐の武田大膳大夫入道信玄、當國を幷せしより、彼家の被官と成て、一生の高名凡三十七度、文祿二年に至…信玄
酒井 第四上 · 4
- p005…前の兵、氣おくれして、信長に中直りし、本國にこそ歸りけれ、同き二年四月、武田大膳大夫入道信玄、二萬三千人を引具し、參河國へ發向す、德川殿敵二連木の城を攻ると聞召し、…
- p005…に五千人後卷せんとて出玉ふに、城は落ちぬと聞えしかば、吉田の城に入玉ふ、武田もこゝに押寄〱、山に陣を取る、まづ子息の四郞勝賴、山縣三郞兵衞尉昌景、都…
- p005…、三度まてこそ戰ふたれ、此日忠次自ら廣瀬郷左衛門と戰ふ事二度に及ふ武田入道、德川殿此城に、ましますと見てければ、容易には陷されじと、玆より山路を歷…
- p007…まづ此度は御勢を返さるべうもや候と申す、德川殿用ゐ玉はず、忠次重ねて、故信玄入道、弓矢を取て、當代に類ひ多からず、されば其子息なれば、四郞頓てうしろ卷し…
本多 第四上 · 4
- p002…の事は、甲陽軍鑑信長記、家忠日記等にしるす所、異說多し、同三年六月、武田入道信玄、三河遠江を打隨へんと、甲斐國を立て、直ちに飯田の城を落す、御方の人々、…
- p002…伺はんと、見付の原に打出つ、敵思ふにも似ぬ多勢にて、間近く陣を取てけり、信玄御方の勢を見て、如何にも相謀て、敵一騎も洩さず、打取れと下知し、一勢〱打…
- p002…いへ、それが中、こゝに來る者、四千にや餘るべき、敵の勢は三萬餘騎、しかも信玄といふ古兵に向つて、我等大將もましまさぬ軍して、軍仕損ずるほどならば、敵…
- p003…榜を建てゝ、家康に過たる物は二つあり、からのかしらに本多平八、この謠は、信玄の近習に杉右近助がよみしなり、此程は、戰國の最中なれば、外國の物は、世に…
本多 第四上 · 1
- p003…方多勢ならむには、兵糧また續ぐべからず、此事如何にと仰せあり、重次承て、信玄我國に向ふと聞えしより、糧米多く蓄へ積せて候と答申ければ、悅たまふ事斜な…
榊原 第四上 · 1
- p001…ふ所、打破らずといふ事なし、中にも、元龜三年十二月廿二日三方が原の合戰、武田信玄入道が先陣、山家三方の輩をば康政が手にて打破り、御方既に負軍して引かへすに、…
大久保 第四中 · 2
石川 第四中 · 2
鳥居 第四中 · 1
- p001…、同三年十月三方が原の戰に御方敗れて引返す、元忠一勢取て返し散々に戰ひ、信玄の陣より射ける矢に疵かうむる、敵既に濱松の城に進み來る、元忠又城中より切…
植村 第四中 · 1
- p006…す、是れ隱れなき勇士なりとて、盃を賜ひ、引出物せらる、信光の刀また武田大膳大夫入道信玄、天下武勇の士を評せられたりしに、此出羽守を以て大剛の兵とは稱しけり、又…
安部 第四中 · 5
- p001…、父祖代々駿河國の住人にて、今川が家に屬す、上總介氏眞の代に及び、外舅の武田が爲に、駿河國を犯されて、府の城をば岡部次郞右衞門尉正綱、安倍彌一郞信勝…外舅=氏真の母の兄弟
- p001…郞右衞門尉正綱、安倍彌一郞信勝をとゝめ守らせ、氏眞遠江國懸川の城に遁る、武田入道信玄、密に元眞が許に使して、御方に參るべき由を云送る、元眞返事にも及はずして…
- p001…元眞返事にも及はずして、城に籠らんこと叶ふべらずと、所領安部谷に引籠る、信玄安からぬ事に思ひ、伊川七村の內に廻文して、安部父子討て進らせん者には、其…
- p001…十騎を差副られ、元眞信勝、田代河內の地に馳向ひ、彼の奴原悉く誅戮す、斯て信玄駿河國を攻取て、要害五箇所を搆て、遠江國をも併せんとす、安倍口津渡野村…
- p001…十一日としるされたり其後また遠江國光明の城を守りし時、寄手攻あぐみて、信玄みづから寄來らんとするに、德川殿御後卷あるべしと聞えしかば、寄手頓て引返…
渡邊 第四中 · 1
- p001…の城の戰ひ、凡そ一生の高名數ふるに暇あらず、中にも元龜三年十二月廿二日、武田入道信玄、遠江國に發向し、三方が原に至る、德川殿、守綱を召されて、敵のやうを見せ…
戶田 第四下 · 1
- p001…れば、詳かなる事をしらず、此人一生の高名、多き中にも、元龜二年五月、武田入道信玄、吉田の城に向ひ、まづ四郞勝賴山縣三郞兵衞尉昌景が勢を分て、城を攻めんと…
酒井 第五 · 1
- p001…防守康親が傳、又附錄の石川伯耆守數正が傳に詳なり、去程に氏眞は、舅の武田入道信玄の爲に、駿河國を破られて、遠江國掛川の城に落來り、德川殿と戰ひ、城既に落…
奧平 第六 · 1
- p003…、德川殿、長篠の城を攻め玉ふ時、後卷せよとて、武田四郞軍兵餘多差し遣す、晴信入道の卒せしを深く匿すとすれど、貞能これを知りて、窃に德川殿に志を通し、敵の…
小笠原 第六 · 3
小笠原 第六 · 1
- p001…康より五代の孫、下總守信貴は信嶺が父なりけり、累代信濃國松尾の城に住す、武田大膳大夫晴信、信濃國を打從へし後は、おのづから其被官となる、天正十年の春、木曾左馬助…
岡部 第六 · 4
- p001…るべし、世々駿河國に住して、今川の被官たり、上總介氏眞の時に當て、外舅武田信玄の爲に、駿河國を陷され、永祿十一年の冬、遠江國懸川の城に落來り、また德川…
- p001…右衞門正綱、同治部右衞門、森川小倉に加りて、此事を承る、同き十二月七日、武田入道再ひ駿河に入て國府を攻む、前亡の餘類城中に馳集る、僅かに侍五十餘人には過…
- p001…る、僅かに侍五十餘人には過ぎず、正綱防き戰て、容易う落さるべうも見えず、信玄のた玉ひけるは、正綱故主の恥を雪かんとて、僅なる勢を以て、此城に立籠り、…
- p001…にて、味方に參るべきよし、色々と宣ひければ、此上はとて正綱、武田に從ふ、信玄大に悅ひ、今川にて給ひしより、十倍の地を知行させ、元は三百貫、今三千…
諏訪 第六 · 2
土屋 第六 · 5
- p001…けり、其子若狹守虎嗣、若狭守が事甲陽軍鑑に詳なり、其子筑前守虎義、大膳大夫晴信に仕ふ、晴信無双の勇士十二人を擇らんで、軍の使を定めらる、この筑前守虎義…
- p001…、若狭守が事甲陽軍鑑に詳なり、其子筑前守虎義、大膳大夫晴信に仕ふ、晴信無双の勇士十二人を擇らんで、軍の使を定めらる、この筑前守虎義、第一に選み…
- p001…非か十七歲にして信濃國川中島の軍に從ふ、味方散々に亂れしに、昌次一人、晴信入道の側を離れす、入道大に感じて、土屋は武田譜代の家人、今は其家絕えたるなり…
- p001…國川中島の軍に從ふ、味方散々に亂れしに、昌次一人、晴信入道の側を離れす、入道大に感じて、土屋は武田譜代の家人、今は其家絕えたるなり、昌次して名字繼せ…
- p003…人が槍に貫れ、父子同しく討れ玉ひにけり、昌恒時に廿七才なりあはれ故大膳入道は、士を養ひ武を講ぜしこと廿餘年、人を殺し地を開きし事五六州、されば、み…
屋代 第六 · 1
- p001…左衞門尉源勝永は、信濃國の源氏、代々當國更級郡屋代に住す、甲斐の武田入道晴信、信州を打隨へし後、彼家の被官として、度々の戰功を顯はす、甲陽軍鑑を考…
上杉 第八下 · 2
眞田 第九上 · 7
- p003…て、長野信濃守を賴て、上杉の家人なり上野の國簑輪の城に在り、甲斐の武田大膳大夫晴信、信濃國を打ち從へんとて、幸隆を招て、本國に返へし納る、幸隆大に悅ひ、如…
- p003…納る、幸隆大に悅ひ、如何にもして、父が仇を報ひ、又如何なる忠をも、顯はし武田が恩に報ぜばやと思ひ、天文十五年の冬、村上義清をたばかつて、彼が宗徒の侍…
- p003…彼が宗徒の侍五百人、おのが城に引入て、一人も餘さず、討つてけり、村上終に武田が爲に滅され、晴信信濃を從へしこと、幸隆が功、莫大なり、甲陽軍艦に詳…
- p003…、おのが城に引入て、一人も餘さず、討つてけり、村上終に武田が爲に滅され、晴信信濃を從へしこと、幸隆が功、莫大なり、甲陽軍艦に詳なり同き二十年、…
- p003…信濃を從へしこと、幸隆が功、莫大なり、甲陽軍艦に詳なり同き二十年、晴信入道して、信玄と號す、幸隆も同く入道して、一德齋と號し、年積て六十二歲、天正…
- p003…と、幸隆が功、莫大なり、甲陽軍艦に詳なり同き二十年、晴信入道して、信玄と號す、幸隆も同く入道して、一德齋と號し、年積て六十二歲、天正二年五月十…
- p003…と云ふ、伊豆守信幸は、此安房守昌幸が嫡男なり、昌幸初は眞田源五郞と申て、晴信入道に近く仕へ、近習六人の中に、選み入られ、又足輕の大將承り、武藤喜兵衞と改…
駿河殿 第十一 · 5
- p002…せしを承りき、誠にしかりや、〇駿河殿罪かうふらせ給ひしのち、彼家よりして武田大膳大夫入道信玄の旗幟出たり、將軍家怪しみ思召されて、御糺明の事ありしに、甲斐國に長遠寺…
- p002…しみ思召されて、御糺明の事ありしに、甲斐國に長遠寺といふ親鸞宗の僧あり、故入道が時に、此僧大坂長嶋の使して、信長亡さん謀をめぐらす、信玄悅で娘あたへ聟…
- p002…宗の僧あり、故入道が時に、此僧大坂長嶋の使して、信長亡さん謀をめぐらす、信玄悅で娘あたへ聟とせり、男子出生す其名を二位と名づく、これ信玄の外孫なりと…
- p002…をめぐらす、信玄悅で娘あたへ聟とせり、男子出生す其名を二位と名づく、これ信玄の外孫なりとて、初め武田が家に仕へし人の、崇敬いふばかりなし、この長遠寺…
- p002…に、かの長遠寺が子、赦蒙りて歸り武田二位と名のり年老て死したり然るを今は信玄の嫡孫たる由をいふ人あり、いかなる故にや詳なる事をば知らず、…
菅沼 第十一 · 12
- p004…一說に此年十二月十二日武田信玄、駿河の國府を落し、今川氏眞遠江國掛川の城に落ち來る、德川殿掛川を攻め給…
- p005…元龜元年の夏姉川の合戰には、野田の城に留り守る、同き三年十月甲斐の武田大膳大夫入道信玄、德川殿に中たがひして遠江國に發向し、二股の城を攻め落す、東三河の國人等…
- p005…して、德川殿の御爲に野田の城に立籠る、去程に十二月廿二日味方が原の合戰、武田入道うち勝て刑部に陣を取り、明れば天正元年正月十一日、野田の城に押寄せたり、…
- p005…の軍兵四百人には過ざりけり、此城究竟の要害たやすう落さるべしとも見えず、入道謀事をめぐらし、地を穿ちて城中にある所の井の水悉くに切り落しければ、味方…
- p005…謀つて、かたきの陣に使たてゝ斯くと告げ、二人城を出で首はねんとせし處を、入道とかくたばかつて生捕にぞしたりける、山縣三郞兵衞尉昌景、預人となつて郡内…
- p005…られん事こそあらまほしけれと、樣々に敎訓せしかども二人承引の氣色もなし、入道さらば計らふべき樣ありとて、德川殿に使者を參らせて、それに候ふ東三河の國…
- p006…原の戰に味方利なかりしと聞て、信長とかく躊躇ひ給ひし內に、城は落てけり、信玄入道野田の城攻めし中より、忽に違例して本國に趣き、四月十二日に卒しぬ、○或記…
- p006…夜はいまだ吹はてぬに歸るは、一定矢頃は違はざりけりと思ひしに後に聞けば、信玄入道尺八にめでゝ夜每に出て聞きしに、芳休が放ちし鐵炮、人もこそ多きに、かの入…
- p006…道尺八にめでゝ夜每に出て聞きしに、芳休が放ちし鐵炮、人もこそ多きに、かの入道に中りしは運のきはめと覺えたれ、大事の要所にや中りけん、程なく死しけると…
- p006…の要所にや中りけん、程なく死しけると云ふ、此事にこそあるらめ、甲陽軍鑑に入道の手負たるなど云ふはあらぬ事なりと事々しうあらかひ置きたり、おぼろけなる…
- p007…幾程なくて武田入道死してければ、定盈また野田の城に還り住む、武田入道の男四郞勝賴、又參河國…
- p007…幾程なくて武田入道死してければ、定盈また野田の城に還り住む、武田入道の男四郞勝賴、又參河國に向ひて野田城を攻めんとす山家三方の輩案內せし…
北條 第十一 · 1
- p001…あり、綱成が父福島上總介正成、甲斐の武田と戰はんと西郡に發向し、信虎が信玄の父ために討たる綱成幼けなくして父に後れ相摸國に落ち來り、北條左京大…
石川 第十二下 · 2
索引は本文を読んで人物・地名などに項目IDを付けたものです(標本点検の適合率約98.6%)。同名の別人は括弧で区別し、本文表記と異なる比定は注記に記しました。 詳しく