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○三方ケ原合戰の事

卷之三 第30話 · 段落 7 · NDL 1078984 74コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

元龜三年信玄參河遠江に軍を出し、二股の城を取卷き水の手を取り切りければ、中根平左衞門力の限り支へけれ共、竟にかなはで城落ちたりけり。信玄夫より三方ヶ原に軍を進む。濱松には織田家の加勢も有り、と信玄聞いて遙々來りて、客戰はすまじきとて押を置くべきや、と言ふ處に、三河武者城を押出すと聞えければ、一戰に及ぶべし、と備配り有り。濱松の軍兵日旣に暮なんとすれ共、勇み懸りて一軍すべし、と口々に申す。鳥居四郞右衞門物見して乘り歸り、人々は如何に申し候とも、今日の御合戰は然る可からず。敵は大軍なり、先陣に使を遣り兵を上けさせ給へ。若し是非御一戰とならば、敵ほつたの鄕へ押行かん處を慕ひて懸らせ給へ、と申す。東照宮聞召し、汝は川にも立つ1べき者と思ひて、今日の物見に遣りたるに、何とて後れたるや。目前に敵ををめ〱と通しては生甲斐も無し、と怒らせ給ふ。四郞左衞門承り、目の明きたる故にこそ、勝敗の利害をば見極めて申し候へ。御敗軍を知し召し、御懸りあらんは殿の御心の儘なる可きなり。勝敗の道を知ぬ人こそ後者よ、と以ての外に罵り、其處をつと乘り出し成瀨藤藏を尋ねけるに、功名したりと聞き、卽晴なる討死したりけり。
  1. 誤植 — 底本「川」。振り仮名「よう」から「用」の誤植か(「用」の横画欠け)。
三方ヶ原の前夜手分を定めらるゝ時、成瀨と鳥居と先後を爭ふ事有りて、旣に刺違へて死すべき色顯れしを、傍の人々押止めたるに、鳥居成瀨に向ひて、明日信玄と一戰有る可きなり。織田家の援兵も來りぬ。士は一人も大切の時なるに、私の爭論して死なんは不忠ならずや。二人共犬死して殿に損かけ奉らんより、明日の軍に功名比べして討死せんは如何に。成瀨莞爾と笑ひ、いしくも申されたる哉。我も左こそ思へ、明日討死せん。いざ、とて酒汲み交し深更に及べり。東照宮之を知らせ給はで、成瀨は信長の加勢の目附としてあら井本坂に向ふべし。鳥居は濱松先陣の目附せよ、とぞ仰せられける。二人は必死を期したれば、鳥居も一處に有り、二騎先駈けて二萬餘の敵に馳せ向ふ。鳥居冑首三つ取りて、成瀨も首三つ取りて行會ひ、共に打笑ひて首をば抛捨て、又駈け向ふ。鳥居又首取りて成瀨を問へば、只今山縣が陣に駈け入りて討死し、敵其首を取りたり、と言ふを聞きて、成瀨に先立たれしよ。汝は疾く歸りて朋輩に語り候へ、と從者に言ひ捨て、信玄の旗本を指して駈け入らんとせしを、土屋右衞門が手の者共取り圍みけり。鳥居は勝て逞しき剛の者にて、三尺餘りの野太刀を打ち振り、死狂に切つて廻る。土屋が冑を破れよ碎けよと斬たりけるに、目眩みて馬より落つる。多兵四方より鎗ずくめにして鳥居を討ち取りたり。敵も味方もおしなべて惜み合へり。
渡邊半藏守綱も物見して馳せ歸り、是も味方中々危く候。先陣を呼び返させ給へ、と申す。然れ共壯士等勇み懸りて、柴田七九郞、大久保治右衞門進み行くを、半藏ひらに止れと言へ共聞き入れず。甲斐の先陣小山田に向ひて足輕をかくる。軍始りて先陣亂れ足になりければ、石川伯耆守數正馬より下り立ち鎗を提げ、一足も引くまじ、と呼はり、一陣の士卒各折敷きて鎗ぶすまを作り待ちかけたり。甲斐の兵競ひ懸るを、近々と引き受け、一同に立ち上り、ゑい〱と聲を上げて追ひ返す。外山小作一番鎗を合せたり。日暮れければ甲斐の大軍進み懸る。東照宮御旗本を率て切つて懸らせ給へば、遠江の山家三方小山田追ひ立てられ敗れけり。申の刻より軍始りて、夜更くる迄の軍に、衆寡支へ難くて崩れ立ちしに、榊原は東の方西島に向ひて引き退く。信長の侍大將平手汎秀は、いなといふ所にて返し合せ討死す。鳥居四郞左衞門を始として、河澄源五郞、長谷川紀伊守、加藤二郞九郞等逞兵三百餘人討たれ、敵頻に追ひ來る。本多肥後守忠直後殿して、敵近附かば取つて返し遂に討死す。甲斐の士大將秋山伯耆守晴近透間なく追ひ駈け來り、御馬廻殘り尠くなりしかば、東照宮御馬を引き返させられし時、夏目次郞左衞門吉信、此處は御討死の時にては候はず、と申して、御馬の口を濱松の方へ引向け、鎗を取直し、御馬のさんづを疊みかけて叩きければ、御馬駈け出しぬ。夏目踏み止り、多勢に取卷かれ、鎗の柄の折るゝ計に戰ひて討死す。
夏目は濱松の御留守なりしが、矢倉より軍の樣を見て急ぎ馳せ參り、疾く御城に歸らせ給へと申せ共、吾城下に於て打負けなば、命生きて何にかせん、とて御馬副の者に口を放せと仰せられしを、吉信、御馬の口な放しそ、と固く下知し馬より飛び下り、御諱を賜り候へ。討死仕るべし、とて御馬に附きたる畔柳助九郞に下知して、御馬を御城の方に引向けさせ、鎗の柄にて御馬のさんづを叩き、取つて返し十文字の鎗にて追ひ來る敵を支へて討死しけるとも言へり。是より前三河一向宗一揆の時、彼宗門を信ずる人々犇々と相集り、櫻井の松平監物、上野の酒井將監、大草の松平七郞も黨しけり。中にも夏目次郞左衞門は一族も多かりけるが、彼宗門に徒黨して己が知行所に要害を構へ楯籠りしを、松平主殿助伊忠不意に押寄せ、木戶を打破り攻め入りしかば、夏目防ぎかね帑藏の中に隱れ入りたるを、殺すは籠の中の鳥を殺すに似たり。救けてこそ、と仰せ有り。主殿、討殺して後申すべき物を、と言ひ乍人數を引き取りぬ。夏目岡崎の方を伏拜み、斯る仁愛深き殿に楯つきし事の悔さよ、とて其の日より宗門の本尊の前に至りて、殿の御爲に命を捨させ給はれと祈りけるが、果して義死を遂げにけり。又一說に、夏目大津半右衞門、同伊織乙部八兵衞等六千餘額田郡野田の古城に楯籠りけるに、深溝の城より松平主殿助伊忠是を攻る。乙部は固より一向宗に非ざれ共、夏目と無二の知音たる故同じく籠りしが、遂に許す可からざる事を察し、夏目を助けん爲に久留善四郞と相謀り、伊忠に內通し、寄手を引き入れしかば、半右衞門は針崎へ落ち行き、夏目は藏の中に隱れしを、乙部、夏目を助け候へ、と伊忠に乞ふ。乙部が朋友を捨てざる事を伊忠感じ、夏目も亦武功有りし者故、藏を取卷きて此旨を歎き申しければ御赦ありけり。夏目愚にして一揆に黨せし事を後悔し、藏より出でて伊忠に降參しけるとも言へり。
水野左近大夫も引退り支へけれ共、敵猶競ひ懸れば又御馬を引返させ給ふ。成瀨吉右衞門、日下部兵右衞門、小栗忠藏、島田治兵衞步立にて御供し、敵六七騎進み來るを、成瀨一騎切つて落し、御馬を返させ給へば、六騎は追ひ留りぬ。大久保新十郞忠隣御馬の側を離れ奉らず、大久保七郞右衞門忠世さいがかけの邊に御旗を押立て、敗軍の味方を集むる、其隙に濱松に引き取らせ給ひけり。敵城近く押寄すれば、鳥居彥右衞門元忠玄默口より討つて出で相戰ふ。渡邊半藏兄弟、勝屋甚五兵衞、櫻井庄之介名乘り掛けて鎗を入れ、敵五人討取り押懸る敵を追ひ拂ふ。石川伯耆守と大久保七郞右衞門と相謀り、鐵炮をつるべ放に打ちたてさすれば、詰め寄せたる敵も皆引き返す。味方疲果てけるに、天野三郞兵衞、大久保七郞右衞門と心を合せ、敗軍の中を求めて鐵炮只十六挺有りしを引き具し、信玄の陣さいがかけに向ひて打ち掛けしかば、甲斐の軍夜合戰に懸るかと周章て、暗さは暗し案內は知らず、さいがかけへ落つる者其數を知らず。
又一說、其の夜酒井左衞門尉忠次、今夜武田の軍兵疲れたらんは必定なり、夜討せん、とて忍を出し、信玄の陣屋の樣を見せけるに、爰には何色の旗の紋あり、彼處には此色の旗を立てたり、と言ひけるを忠次聞きて、疲れたる兵を後陣に引き退け、後陣を先に繰り換へたるなり。信玄の慮淺からず、とて夜討はせざりけり。後に聞くに、其夜信玄の士卒一人も睡れる者無かりしとも言へり。