元龜三年信玄參河遠江に軍を出し、二股の城を取卷き水の手を取り切りければ、中根平左衞門力の限り支へけれ共、竟にかなはで城落ちたりけり。信玄夫より三方ヶ原に軍を進む。濱松には織田家の加勢も有り、と信玄聞いて遙々來りて、客戰はすまじきとて押を置くべきや、と言ふ處に、三河武者城を押出すと聞えければ、一戰に及ぶべし、と備配り有り。濱松の軍兵日旣に暮なんとすれ共、勇み懸りて一軍すべし、と口々に申す。鳥居四郞右衞門物見して乘り歸り、人々は如何に申し候とも、今日の御合戰は然る可からず。敵は大軍なり、先陣に使を遣り兵を上けさせ給へ。若し是非御一戰とならば、敵ほつたの鄕へ押行かん處を慕ひて懸らせ給へ、と申す。東照宮聞召し、汝は川にも立つ1べき者と思ひて、今日の物見に遣りたるに、何とて後れたるや。目前に敵ををめ〱と通しては生甲斐も無し、と怒らせ給ふ。四郞左衞門承り、目の明きたる故にこそ、勝敗の利害をば見極めて申し候へ。御敗軍を知し召し、御懸りあらんは殿の御心の儘なる可きなり。勝敗の道を知ぬ人こそ後者よ、と以ての外に罵り、其處をつと乘り出し成瀨藤藏を尋ねけるに、功名したりと聞き、卽晴なる討死したりけり。
- 誤植川にも立つ — 底本「川」。振り仮名「よう」から「用」の誤植か(「用」の横画欠け)。