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○前田利家末森城後卷合戰の事

卷之七 第1話 · 段落 4 · NDL 1078984 130コマ L

人物地名家(氏)官職日付索引へ

瀧川一益、佐々成政等信孝を推崇て秀吉と弓箭を取りしに、天正十二年九月成政八千の兵を率ゐて、加州金澤の城主前田利家の士大將奧村助右衞門永福後に伊豫が守る所の能登の末森の城を圍む。成政旗本を以て後卷を押へ嚴しく攻むる。此城だに打破らば、能登は一日に討ち從ふべし。後卷無き中に乘取れ、と下知しけり。奧村僅に三百許の士卒にて爰を詮度と防ぎけるに、餘りに强く攻められて、今は是までなり自害せん、と云ひけるに、助右衞門が妻小袖を搔い取り鉢卷をし刀を橫たへ、女房に粥を手桶に入れさせ、塀裡の人々に自ら飮ませ、昔楠とやらん云ひし大將の、日本國を敵にして城に籠りたりと聞く。明日は金澤より後詰の候べきに只一夜防ぎ給へ、と云ひて打廻るを、奧村見て、今日の振舞男子に優れり。此城を女の力にて持得んは口惜し、と自負の色あり。此城手易く落つ可からざるを見て、火攻にせんと云ふ者あり。成政、否々大手の城門を取りて富山の城門とすべし。又石動山の衆徒も吾に心を合す。火攻には爲可からず、と下知して、旣に二三の丸を攻取りて夜の明くるを待ち居たり。末森より金澤へ行程九里許、其日酉の刻に斯と告げて、夜の明くる迄は堅く守るべし、と申し送る。利家聞きも敢へず金澤の城の廣間へ出で、利長を呼んで、汝は城の留守せよ、と下知せらる。利長、否々眞先駈けて佐々を打破るべし。殘止らん事思ひも寄らず、と申されければ、利家、然らば父子打向ひ、敵の不意を討に利有らん。軍兵を整ふるに及ぶ可からず。馬に鞍だに置くならば一騎駈に打出でよ。一足も疾出づるを今宵の功と爲可し、とて富田與五郞後越後守に、汝津幡に行きて不破彥三に末森の後卷の先手せよと言へ、と下知せらる。富田己が宿所に馳せ歸り、馬引き出し打乘り、諸鐙を合せて駈け行きけり。利家、士卒皆汁を掛けて飯を喰へ、とて物具せらる。庭には黑の馬を引き立てたり。利家の北の方後芳春院三方に熨斗を入れ父子に參らせられ、扨人々聞き給へ、我は利長の母なり。今日の後卷は誠に大事の軍なるべし。各心を合せ功名し給へ。末森を敵に取られなば各達も討死し給へ。我も人手にかゝり候まじ、とて利家の側近く進み寄り、末森を敵攻め落しなば討死せさせ給へ。利長も母が此詞を能く聞かれよ。生死の別れなり、と言はれしかば、利家、あら心よや。成政を打破らん事必定なり、と言ひも敢ず、物具の上帶を締め、結べる端を切つて捨て馬に打乘り、父子の兵五百許に過ぎざりけり。利家馬上にて、味方の小勢は吉事なり。佐々が思ひも寄らざる所に切つて懸り打勝つべし。奧村討たせなば生き甲斐無し、と言ひつゝ、津幡の町を北へ打過ぎられたる時、富田乘り來る。津幡は金澤より四里餘の行程なり。利家、汝何處くに寢て有りけるぞ、と罵らるゝを、富田聞きて、津幡に馳附き不破が門を叩き申し渡し、不破物具著て候を見て打出で候へば、はや門外に旗を指出し候ひぬ。何國にか寢申す可き、と言ふ。利家尙聞き入れざりしかば、富田怒つて其日の一番鎗を合せけり。是利家士を激するの術なるべし。利家の士卒追々馳せ附ければ三千餘りに成りけるを、二陣に分け、一陣は敵の後に打懸り、一陣は敵の旗本に突いて懸る。成政軍兵疲れし上思ひ寄らざる所に、奧村も門を開きて打つて出でしかば、成政大に敗北せり。是天正十二年九月十一日の軍なり。後に聞くに、成政山の尾崎を越え、敗軍を集め陣を立直し、見よ〱今前田と言ふ男が、勝ちに乘り陣を亂して懸り來るべし。大返にして利家を打取るべし、とて物見二騎を出せしが、乘り歸りて、敵は城を後に當て、靜り返りて懸り來るべき物色候はず、といふ。成政謀違ひけり。
末盛後卷の事、加越合戰記に見えし處、大同小異にて詳なる故併せて爰に記す。利家は加州の內石川川北能登全州を治め、金澤の城に有り。成政は越中の守護にて、新川郡富山の城に有りしが、越中立山さら〱越の難所を、僅に從者百許にて忍びて打通り、東美濃へ出で、秀吉と織田家の弓箭、大敵に手易く勝ち難からん。成政、北國より攻登りて前後より挾み打ちて秀吉を亡しなんには、加賀、能登、越前三州を賜はり候へ、と信雄に相約し、又さら〱越より富山に歸り、佐々平左衞門、神保安藝守と相計り、成政の二人の女有りし中、一人は秀吉へ人質に出し置きたりしかば、其妹を利家の二男利政に妻す可き由を平左衞門して言せしかば、兩家緣を結び目出度し、と言ひ合へり。天正十二年七月二十三日、成政の使佐々平左衞門金澤に赴き、祝ひの物取揃へ相贈りけり。利家篤實の人なれば、成政の奸謀有りとも知らず、引き出物して悅びの上、村井又兵衞を謝禮の使とせらる。成政、八月は忌み候、とて延置き、夜々北の櫓にて軍評定せられけるに、心附きて密に利家に知らす者あり。利家虛實辨へ難しと雖も、怠りて不意の變に打負けなば弓箭取る身の恥辱なり、とて加越の堺朝日山に城を構へ、村井又兵衞を大將として、千五百餘りにて守らしめん爲め柵を附け廻る處に、八月二十八日成政より佐々平左衞門、前野小兵衞に五千の兵を指添へて押寄せたり。加賀の者共居住の支度せんとて金澤に歸りたるも有りて、折節七八百には過ぎざりけり。然れども村井大剛の者にて、味方を勇め立つる處に、利家馬廻りの士阿波賀藤八、江見茂十郞見廻ひに參り合せしが、急ぎ歸りて注進を賴まばや、と云ひければ、兩人色を變じ、金澤に在りとも斯る事を聞かば馳せ來る可きに、參合せたるこそ幸なれ。然るに空しく歸れと言ふ事や有る、と怒りければ、村井聞きて、誠に賴母しき事悅ぶに餘り有り。但し路次に一揆起りなんは必定なり。各歸りに恐あらば爰に止られよ、と云ひしかば、兩人此詞を聞きて、扨は路の一揆を恐れて歸るまじとや。然らば駈け歸つて申さん、とて馬に打乘り、金澤へ四里半許なる道を只一時に馳歸り、斯と申せば、利家、然らば後卷せよ、とて不破彥三、田野村三郞四郞、片山內膳、岡島喜三郞、原隱岐、武部助十郞などを打具し、貝を吹せ揉に揉んでぞ急がれける。折しも大雨降りしかば、成政の兵も一時に攻破り難しとや思ひけん、城を攻めずして引歸しぬ。是より和談破れければ、能州七尾には利家の弟五郞兵衞安勝、同孫右衞門良繼、高畠織部、中川淸六、長九郞左衞門等三千餘にて籠め置き、能登加賀越中の堺末盛に奧村助右衞門に千秋主殿助、土井伊豫を添て、千五百許籠められたり。加州津幡の城には前田右近、越中の堺鳥越には目加田又右衞門、丹羽源十郞を籠めたり。成政も倶利加羅の嶺に城を構へ、佐々平右衞門二千餘、利波の城には前野小兵衞に二千、靑山の城には國士菊地伊豆守、荒山に城を築き、神保安藝守氏春の家老袋井隼人に守らせて七尾の押とす。神保は成政の聟なり。四千の兵をもて森山を守りけり。利家斯と秀吉に告げられければ、秀吉聞きて佐々を疑ひ、加州に又左衞門を置きつるは吾謀りしに違はざりけり。利家兵少しと雖も必ず成政に切り勝つべし。頓て師を出し、成政を討亡すべきよ、とて使者に黃金三十兩與へられぬ。九月十一日成政末盛へ押寄せ、二里許傍の坪井山に切所を前に當てて陣し、佐々平左衞門、山下甚八、前野小兵衞を始として八千餘攻寄せ、外構の町家に火を懸けんとす。土井伊豫、敵に町家を燒かれては生甲斐無し、とて二百許にて突いて出で、散々に戰ひけれ共、大敵に掛け合はせ終に討死す。城兵も爰を專途と防ぎける間、速に落つ可しとも見えざりしかば、成政後卷心元無し、とて神保安藝守氏春に四千餘を差添へて、川尻と言ふ所に陣して、加州の道を塞ぎたり。利家末盛より告げ來ると等しく金澤を打立ち、不破彥三、村井又兵衞を先陣とす。
一說に、成政嚴く攻めて、二三の丸水の手を乘取り、本丸に攻詰めたり。末森の飛脚息切るばかりに金澤に馳來り、文箱を投げけるとぞ。
十一日未の刻の事なり。末森は水に乏し、廣岡の水を汲みて榮螺に入れ、急ぎ追附よ。後卷の土產にせん、とぞ下知せられける。偖同國松任と言ふ所、金澤より三里許隔りて利長居城なれば、疾く〱末森へ向はれよ、と言ひ送られけり。金澤より四里許なりける津幡の城へ急ぎ押附けられしかば、弟の右近秀繼廓外に出向ひ、利長を待る可きや、と言はれしかば城に入られしに、利長戌の刻ばかりに津幡に馳せ著かれけり。利家悅んで、吾成政と若き頃より數度の軍に逢ひつれども、利家を越したる事一度もあらず。然れども成政侮るべきには非れども、無二無三に一合戰して勝利を得ん事掌の中に有り、と大音揚げて呼はり勇み進まれけるに、寺西治兵衞入道右近と相議し、早や末森は落ちたるならん。殊更川尻に神保多勢にて道を切り塞ぐと聞え候へば、後卷は如何候はん、と申す。利家大に怒り、汚き諫は必ず口にも出すまじき事ぞとよ。人は一代名は末代とこそ聞け。奧村や土井を捨殺して已來、假令日本の主となる共此恥辱雪ぐ可からず。成政大軍にも有らばあれ、吾馬廻り計にても快く軍して勝負を決せん事不足なし。如何に村井、汝は如何に思ふぞ。是非一戰と思ひ定めたるぞ、と詞を掛けられしかば、又兵衞聞きも敢ず、有無の一戰の外何の是非か候べき、と云ふ。利家悅んで、村井が心も吾に同じ、とて早打立たれしに、右近茶漬飯を進め、且上手の占師の山伏の候。召して軍を占はせられんや、と問ふ。利家氣色良からねど、夫々とて呼出されけり。五十許の山伏なり。懷より書物を取出す。利家ともあれ後卷に決定したるよ。能見よ、と言はれしに、山伏書物を懷に入れ、今日吉日なり、時も吉時なり、と言へば、利家、汝功者なり。頓て打勝ち賞美すべし、と快げに打出で、勇み進んで押行きけり。村井、不破先陣、原隱岐、前田又次郞、片山內膳二陣、田野村三郞四郞、靑山與惣兵衞、近藤善左衞門、前田慶次郞押續く。宮川但馬武者奉行たりと言へり。川尻の此方一里許高松と言ふ所にて、利家冑を取つて著、忍びの緒の餘りたるを切つて捨てられしかば、偖は今日限の軍よ、と人人生きて歸るべしと思ひも寄らず。篠原勘六とて利家の近習の士二十三に成りしが、橫根を煩ひ起臥も心に任せず。然れども是非打立つべき、とせしを、汝は殘り留りて、吾討たれなば堅く城を守りて秀吉の後卷を待ち候へ。叶はずば其時腹を切れ、と下知せられしかば殘りけるが、乘物に乘り與力の士二十騎打具し、川尻近く成りて馳附き、篠原勘六參り候ひぬ、と大音に呼りければ、是を聞く人々、天晴剛の者なり、と云ひ合へり。川尻よりは津幡に人を附けて窺はするに、馳歸りて、前田父子津幡まで出でたれども、後卷有べしとは見えず、と言ふを聞きて、神保は大に備を寬めけり。利家先陣に乘行きて、村井不破に濱際を一騎打に馬の舌を卷かせ、如何にも靜に押通れ、と下知せらる。神保は兵を押出し待ちかけたり、と物見の言ひしかば、又富田越後此時六左衞門といへりを物見とせらる。馳歸りて、敵は一人も候はず。川の杭の多く候を人と見誤りたるならん。疾う〱押せられ候へ、と申す。利家、川杭とは何を證にせん、と問はるゝに、越後、されば候、武者ならば並びの揃ひ候事有るまじと存ず。猶も慥に見ん爲に、川中迄馬を打入れて、心靜に見て候。是を見損じ候程ならば再び弓箭は取るまじ、と申す。利家、汝が見る所こそ正しけれ。士の手本にせよ、と悅ばれけり。偖兵を進めて押通るに、神保是をば夢にも知らず。後れて聞附けたれ共、利家は今濱と言へる右の上なる山に兵を押附け陣せられしに、夜明けにければ利家馬を乘廻し、兵粮を遣ひ候へ。今日の軍勝つべき事心易かるべし、と下知して、皆馬より下りたり。爰にて見れば利長七八百許、兩先陣千三百許、旗本千五百には過ぎざりけり。利家、今日の軍に功名せん輩は取分て賞すべし。若討死せば必ず子孫を見放すまじ、と高らかに下知せられ、夫より山を下りて兵を進むるに、道二筋有り。一筋は末森の道、一筋は成政旗本への道なり。村井、坪井山へ押寄せ、成政を虜にせん、と申す。利家聞きて、尤なれども、成政必ず嶮を前に當ててや陣すらん。只末森へ馳附け敵を追崩し、城中の者共に力を附けんは如何に。村井承り、可㆑然候。城中の士共只今の仰を承り、さぞ辱からん、と言へり。程無く末森近く押詰めたれば、村井が者共餘多首を取來る。末森には二の丸に籠りたる千秋主殿助、瀧津金右衞門已下寄手攻め入るを追出し、力の限り戰ひけるが、討死餘多に及べり。本丸も旣に危く見ゆれ共、奧村助右衞門少も氣を屈せず、支戰ひける處に、砂山に當て朝霧の晴間に利家の馬印見えしかば、力を得勇み悅ぶ事大方ならず。今少し後卷遲かりせば城陷るべきに、運を開きしは偏に利家迅速の兵機を得られし故なりけり。村井又兵衞、田野村三郞四郞を始として、鎗を打入れ散々に戰ひけるが、成政先陣の大將佐々與左衞門を村井突伏せければ、士三十餘人枕を並べて討死す。利家の先陣佐々を討ち取り、閧を作りかけ切崩せしかば、寄手敗北しけるを、利家見て搦手へ廻られけり。寄手にも究竟の兵餘多有りて待ちかけたれば、利家旗本五十騎許靜に懸りける所に、半田半兵衞眞先に進み、一番鎗と名乘りける所を、櫻甚助鐵炮にて擊ちたりしかば左の手に當り、鎗を抱きて倒れたり。半兵衞と甚介は從弟なりしが、指物にて見知りける故、甚介も、半兵衞存命へずば不便なる事を爲たるよ、と淚を流しけると後には聞えけるとかや。利家、敵の鐵炮烈し、延々にせば叶ふまじ。たゞ懸りて追崩し候へ、と金の切裂の采配を取つて下知せられしかば、會釋も無く競ひかゝりて押崩す。寄手餘多討たれて敗北せしかば、金澤の士勝閧を㗢とぞ上げたりける。利家城中に乘入りて奧村を首詞を掛け、今度籠城の働言語の及ぶべきに非ず。利家如何に思ふとも、汝が言ひ甲斐無くて城を明くるか。又攻落されなば口惜かる可きに、斯る功名やある、と勇め立てらる。其時野村傳兵衞、山崎彥右衞門一度に鎗を合せたり、とて一二の爭論せり。利家、半田が眞先駈したるに冥加無く深手負、志を遂げざれども勇士の志は顯れたり。二士一同に鎗を合せたれども傳兵衞名乘たれば、一番をば野村に極めたるぞ、と下知せられ、二人に千石の加祿を與へられけるとぞ。半兵衞は疵癒えて二千石與へ、士十五人與力に附けられけり。成政の旗本へも後卷の由聞えしかば、然らば一軍せん、とて八千許押出す。利家是を見て、此勇める勢には百萬もあれ恐るゝに足ず。先陣は又兵衞せよ。二陣は城主なれば奧村、三番は不破彥三と定められけり。能州の國士長九郞左衞門四五百許にて馳來る。敵味方分明ならねば物見を遣るに長が兵なり。遲く馳附きつる事口惜き事なり。弓箭の冥利に盡きたり、と憤りけるを、物見の脇田善左衞門、野村七兵衞聞きて馳歸りて具に申せば、利家長を感ぜらるゝ事大方ならず。皆とり〲に長が志を褒立つれば、努々後れたるに非ず。淺からざる譽なり、と誓紙を添へたる書を長に與へられたり。成政如何に思ひけん、打出したる兵を引き纏ひ、山に添うて引退く。折しも武者修行して來り居たりし本多三彌は、無二無三に掛りて成政を討ち取るべきに、と云ひけれども、猛將の成政なればこそ手輕く引拂ひたれ、と人々言ひしかば附慕はずして止みにけり。討取りし首七百五十三とぞ聞えし。利家は成政城を攻め落さず空しく引返す事を怒り、引退く體にして津幡の城へ寄せんも計り難し、とて奧村を城に止め兵を數多指置きて末森を打出でられしに、追々に兵加はり一萬許に成りにけり。又不破村井を先陣として濱邊に指掛り、津幡に馬を入れられしかども、成政は津幡に押寄せずして引取りけり。佐々が軍兵金の熨斗の指物したれば、坪井山は輝き渡りて見えけるを利家打詠め、天晴見事なる備立よ。頓て成政を攻亡し、我士卒に指さすべきよ、と言はれけるとぞ。秀吉此勝利を聞き、日本に比類少き武功と賞せられぬるとかや。利家奧村に其日持たせられし馬印、金の切裂の采配著けられし甲冑を賜りて賞せられしといへり。