지명 색인 › 摂津大坂城
摂津大坂城
본문 표기 大坂の城・大坂城
越前 第一 · 1
- p006…の男、童名は虎之助、慶長十九年の冬、御年十九歲にて、兄少將殿の手に屬し、大坂の城を攻め、明る元和元年正月十二日、四位侍從に任し、伊豫守を兼、此時に將軍…
水野 第三 · 1
- p006…、承應元年五月十六日忠職、内藤帶刀忠興、松平丹波守光重と、輪番交替して、大坂の城を守るべしと仰下され、これを假りの御城代といふ、忠職の守る事、まづ…
本多 第四上 · 1
- p014…り〱、思ふさまに戰ひ、年三十四歲にて打死す、忠朝がかく打死せし事は、去年大坂の城を攻られしに、忠朝が仰を承て向ひし所、川前に流れて水深く、城をせむるに便…
本多 第四上 · 1
- p004…及て、二條の御陣を守護し、また仰をうけて、河內國に向て、賊徒等を追拂ひ、大坂の城下備前島に陣取て城を攻む、翌年の夏、兵再ひ、起りしには、康俊父子、河內國…
鳥居 第四中 · 1
- p006…寛文三年八月朔日、大坂の城守る番に上りて、いまだ城には入らで、旅館に有しが、召仕ふ醫師のために弑せ…
內藤 第四中 · 1
- p001…五月十六日忠興水野出羽守忠職松平丹波守光重と同く仰を承り、三人輪番して、大坂の城を守る事、今年に萬治三年に至れり、世に權の御城代といふ、寛文十年十…
內藤 第四中 · 2
松平(戶田二連木) 第四下 · 1
- p007…丹波守に任ず、同き十六年十一月美濃國加納の城に移る、七万石明曆二年大坂の城守るべき由を奉て、彼處に留り守る事万治元年に至る、權御城代と申せしな…
阿部 第五 · 2
靑山 第五 · 1
- p008…寛文二年九月十五日、大坂の城守るべきよし仰下され、所領餘多加賜ふ、御城代と成て五万石を領す…
安藤 第五 · 1
- p003…して卒す、其男右京進重長家を繼く、重長實は本多藤四郞某が男とぞ聞えける、大坂の城落し時、父が手の者に下知して戰ひ、自らも首切て獻る、其後御書院番の頭にな…
板倉 第五 · 1
- p011…所領加へ賜ふ、一万石を加へ都て二万石なり、寛文五年正月二日の夜、雷大坂の城に落かゝつて、五重の層樓悉く燒失せぬ、思ひも寄らぬ事なれば、城中、城外以…
奧平 第六 · 4
- p012…べしと仰下さる、去程に下總守忠明、美濃國の大名の旗頭として、先陣に進み、大坂の城に押寄せ攻む、再ひ兵起りしにも、同く美濃の軍勢引具して、大和路より押寄せ…
- p012…七十三切て獻る、其勳賞に、今年元和元年十一月廿八日、所領の地餘多つけて、大坂の城を守らせらる、十万石を領す、但し此時には大坂城を給りし樣にも聞…
- p012…所領の地餘多つけて、大坂の城を守らせらる、十万石を領す、但し此時には大坂城を給りし樣にも聞ゆ同五年大和國郡山の城に移る、十二万石其後…
- p013…上總介殿長澤の家繼せ玉ふ事は勿論なり、上總介殿流され玉ひし時は、忠明既に大坂の城を守て、十万石を領せり。如何なるゆゑ有て上總介殿の御跡を受けしといふにや…
太田 第六 · 1
- p011…り、三千石に開發の田二千石合五千石、延寶六年六月十九日攝津守資次、大坂の城鎭守の事を承り、御城代と申なり、所領餘多加へ賜る五万二千石にい…
前田 第七上 · 1
- p002…教訓す、利家頓て事の情を察し、德川殿によしみ結ばんとて、我が病を助けて、大坂の城より伏見の御舘に參らる、德川殿も又利家の病、日々に重しと聞召し、彼が大坂…
藤堂 第七下 · 1
- p001…、多くの敵を打破つて、首八百六十八を切て獻る、軍既に畢て後、同き廿八日、大坂城中より取り得たる黃金の大法馬を、二條の御所に獻る事あり、是は故太閤、事あ…
毛利 第八上 · 3
鍋島 第八上 · 1
- p006…ければ、勝茂又大に驚き、我年いまだ若くして、事の情を察せず、かつは老母の大坂の城に渡らせ給ふが故に、彼の奉行等が謀に落ちて、誤つて父の心に背きし事、返す…
秋田 第八下 · 3
丹羽 第八下 · 1
- p001…し、長秀等を侍大將として、差向けらる、一說に此時長秀は織田信澄と二人大坂の城代となされしと云ふ既に攝津國に到る、斯る處に、信長信忠、明智が爲に討た…
木下 第十上 · 2
織田 第十下 · 1
- p005…、入道頓て駿府に使者を參らせ、本多上野介正純に就きて、入道今度思はずも、大坂の城に在り、既に御陣に參らんとせし處に東西の御和睦事成つて候ひき、あはれ御免…
片桐 第十下 · 1
- p001…姓賜り所領の地加へらる、攝津の茨木一万二千石の地秀賴公の御傳として大坂の城に在り、慶長十八年秀賴公の仰せとして所領の地加へ賜ふ、直盛關東の御旨を憚…
靑木 第十下 · 1
- p003…と成され、入道の後民部卿法印にはなされたり、慶長十八年八十六歲にて、大坂の城に卒せしと云ふ民部少輔一重は、初め今川上總介氏眞に仕ふ、今川亡ひ給ひし…
蒲生 第十二上 · 1
- p003…む太閤媒せさせ給ひて德川殿の御娘を參らせらる、其年關白秀次の御事ありて大坂の城築かれし時、秀行飛驒守になされ慶長元年從四位下侍從となる、同き三年の春家…
堀尾 第十二上 · 1
- p010…り、忠晴と召され從四位下に叙し山城守に任し、同き十九年の冬、軍勢引具して大坂の城に向ふ、かたき信貴野の邊に打出で上杉が勢と戰ふ、山城守忠晴其時十六歲、上…
筒井 第十二上 · 2
稻葉 第十二下 · 1
- p006…首十〇忠明また伊勢の人々の大將を承る故なり明れば元和二年下總守忠明、大坂の城賜て移る、忠明が乞ふに依て紀通攝津國中嶋の城に移さる、…
德永 第十二下 · 1
- p001…大坂前後の戰に從ひ首七十二切て參らす、元和五年諸國の大名に仰せ下されて、大坂の城修し築かれ、明れば六年功なりぬ、昌重も彼役に從ひて侍ひしが、彼處の商人訴…
坂崎 第十二下 · 1
- p002…將軍家第一の姫君は豐臣家の御臺所にてまします、大坂の城敗れし日、希有にして逃れ出させ給ふを、熊野新宮の住人堀内主水といふ者、御…
石川 第十二下 · 1
- p003…取らず、天正十一年五月數正御使を承て、羽柴筑前守秀吉の許に行き向ひ、彼の大坂の城に移りし事を賀せらる、明れば十二年の春より秀吉、北畠殿と不快の事あつて德…
색인은 본문을 읽고 사람·지명 등에 개체 ID를 붙인 것입니다(표본 점검 정밀도 약 98.6%). 같은 이름의 다른 사람은 괄호로 구분했고, 지면 표기가 다른 비정은 문맥 주석에 적었습니다. 자세히